〜小林陽介〜というイキザマを読む



“とにかく逢って欲しい漢が居る”

そう告げられた晩
彼、小林陽介は俺の夢枕に立った

“いつまで生きていられるかわからない
命が有るうちに遭わせたい”

片道5時間近い距離を走ったのは
呼ばれてる
そう感じたから

“雰囲気が似てる
二人が逢えばナニカが起きる
そんな気がする”


ナニが起きるのか
見てみたい
そういう衝動にも駆られ



…ヒジリ…行者…聖者…サドゥー…?

骨という骨が浮かび上がるほど瘠せこけ
ユラリと昇るように力みなく立つ姿は
悟りをひらく寸前の釈迦牟尼をかたどった彫像を思わせた
髭と髪の奥に鋭く光る眼は
達磨を思わせた

そんな彼も死を畏れ肉体の痛みに苦しむ
普通の人でもあった
神棚の前に跪き一心に救いを求め神仏に祈る姿が印象深い

大吐血で生死の境を彷徨った後にもう一度逢った
拍子抜けするほど元気だった
こりゃ持ち直したんじゃないか
病魔は去ったんじゃないか
そう思えるほどに
眼光を失わず
意識は明晰だった

病室で二人きり夜を明かした

その二度の機会
命有る誰もに平等に訪れる死をどう迎えるか
その瞬間をいかに氣楽に迎えるか
生死という陰陽の統合を
語り合い
手当てをした
とにかく肉体の痛み苦しみを緩和すること
俺に出来ることはソレだけ
手を当てることだけ
ソレだけで
死の淵を覗いてなおの痛み苦しみすら融かす
relax
は可能なんだという事実を見せて貰った




その後退院

それから2,000枚とも云われる量の書画を遺してこの世を去った
力みはなかったと伝え聞く



…あとあと思い出して見ると…
前に一度逢ってる!
一緒に朝まで太鼓叩いてるわ

上手いとか上手くないとかを超えた
ジャンル分けのできないオリジナルさで
自身への自信に溢れた
そういう音を出す漢だった

あの時も
昇る朝日に拝しお経らしきモノを大真面目に唱える姿が
あまりにも浮世離れしてて印象的で思わず名前を聞いたっけ

-俺ヨースケ

ぶっきら棒な漢だった

「小林陽介 作」の彫刻や絵画、書は見たことがあった
どんなヤツなんだろう?
とは思ってたけど
まさかソノ小林陽介と
アノぶっきら棒のヨースケが
同じ漢だとは思いもしなかったけど

間違いない



〜小林陽介を偲ぶ会〜にて
一堂に介した作品群
ことに退院後の一ヶ月ほどの間に書いたと聞く書画には
死を受け入れ
かつ
死を超えてさらに飛翔しようという
そういう心象を見た

あぁ、彼は超えて行ったんだなぁ
生死を超えて飛んだんだなぁ

悲哀抜きの爽快感を見た

彼の作品
ほとんどが初めて見る作品
大量の作品

36歳という若さで
これだけ大量の作品を
これだけ気合いの込もった作品を大量に作り続けた
その激烈な熱量に圧倒された

…と同時に
繰り返し繰り返し表れるモチーフをメタファー暗喩として捉えれば…

天狗
達磨
布袋
アマテラス
大日如来
不動明王
薬師如来

九尾の狐
八咫烏
鹿
この世のモノとは思われぬ精霊たち…



ふと
気がついた!

…彼が自身の最期を覚悟してからの棲家として選んだ
熊野という土地に込められたメタファー…

繋がる!
俺わかっちゃった

ヨースケくん
わかってたんだ
っていうか自分で選んでたんだ
そう望み
望む通りを生きたんだ

あの場所も
自分自身の逝きざまも

100号のドでかいキャンパス
退院後に描いた一連の大作は
道教に伝わる純陽化のプロセスを描く絵や
禅の公案「尋牛』の通し絵に似てる
っていうか同じ…

純陽化とは
太陽を存思し
太陽に向かい
太陽と一つに繋がり
太陽そのものとなる

純陽化
それは神仙の術
不老不死の仙人への道
古代から続く魂の錬金術
練丹術の最終到達点

それは世界各地あらゆるところに古代から信仰された痕跡の遺る太陽信仰と直結する

天照大御神
大日如来

太陽
純陽のシンボル

そして龍
龍もまた世界中で古代から畏れ敬われて来た存在
それはエネルギーの象徴
太陽はエネルギーの塊


熊野といえば修験の地
古来天狗が飛び交うところ

天狗といえば超越者
修行の末に常人を超えた能力を開花させた人
特異能力者

行者たちの社
熊野大社が祀るのは八咫烏
八咫烏は太陽へのガイド
太陽信仰

また熊野古道で繋がる高野山は
弘法大師 空海
空海は今もなお生き続けているとされる
不老不死


…仙人が棲むにふさわしく
山深い彼の終の棲家の脇には
まるで龍自身であるかのように川がのたうち流れ
その川沿いの一本道を少し降ったところ
玉置神社の看板…
前に来た時は気にも止めなかったその看板を見て…!

…神社のシンボルは九尾の狐

玉置神社
玉を置く神社
魂を置く神社

詳しい友人に聞いたところ
九尾の狐は蛇の化身であってやがて龍となる
とされているらしい
また人にも化けるとも

玉置神社は龍になる場所
魂を置いて

陰陽を八の二乗64分割して世界を捉える「易」という世界観では
陽のなかの陽のなかの陽
つまり純陽を「乾」と呼ぶ
乾坤一擲の「乾」
これを現す動物は龍
純陰「坤」を表す動物は牛

「乾坤」
乾は純陽
坤は純陰
陰陽それぞれの極みの極みの極み
反対側へとひっくり返るまさにその一点

龍と牛は陰陽それぞれの極まりのメタファー
神仙の世界観の根本を支える太極観を表す

燃え盛る焔を背負った険しい不動明王は陽
柔らかさの極みの薬師如来は陰
これも同じ話

…純陽
陰中陽有り
陽中陰有り
絶対的に純粋なる陽など存在しない
それはどこまでも入れ子である
というのが陰陽の基本的考え方のなか
純陽とは?

陰陽を超える

輪廻を超える
因果を超える

生死を超える
そういうことだ

最初っから
彼は超えたかったんだ

病を知るよりも前から
そういう予定だったんだ

飛び立ちたかった
あらゆる制限を超えて
超越したかったんだ

不意の病によって番狂わせの予定変更に戸惑いはありつつも
ハナからそのように向かってたんだ

熊野
那智
玉置神社
達磨
天狗
八咫烏
九尾の狐


太陽信仰の修験の地
熊野で
玉置神社に魂を置き
八咫烏に導かれ
那智の瀧を昇り太陽へ
太陽そのものに
純陽化
龍となった
生死を超え
不老不死を得た
作品のなかに魂を置いた
作品に総仕上げの魂入れをした

そういうストーリーをハナから描いてた
そういう逝きざまを描いてた

そうして自分自身の生きざまそのものを
作品として完成させた
磨き続けた魂を入れた

思ってた以上の加速度に
気持ちと身体がギクシャクしたりもしたけれど

痛み苦しみに心揺らぎながら
迷いながらも
最期は落ち着いてrelaxして逝った
自分の思い描く自分を生ききったんだんなぁ

凄いやつだなぁ

やりきったんだなぁ〜


「トンデモナイこれから飛ぶんです」:小林陽介



そうそうそうだよね
満願成就してこれからだよね


似てると言われる漢
何がどこが似てるか
ちょっとわかった

古代の先達が生きた世界観を共有したい

知識として
情報として
だけでなく
体感として

時間も空間も飛び越えた共感
それを体感したかった
した
しきった

そういうことなんじゃないかと


世界観そのものになりきったとき
その命は永遠となる
なぜなら
その世界観を生きる人がこの先も生き続けるかぎり
その人たちのなかに在り続けるから

そういうことなんだと

〜偲ぶ会〜にて
天狗の面をかぶり
依り代となったこともあいまって
そう感じます


俺が彼と出逢ったことの意味は
散りばめられたメタファーの読み解きにあるような
そんな気に迫られ
〜偲ぶ会〜以来のなんだかモヤモヤを
こうして言葉に降ろすことで
荷を降ろすことができるような気がします

途方もない話だけど
マジでそういう生き方を貫いた漢がいたんだ
彼の痕跡からはそう読める
それをどう評価するかは抜きに

そしてそういう生き方は儲からないこと
どうも確かな事実らしい……………

俺はどう生きよう
どう逝こう

氣楽に行こう
そうしよう(^_^)


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by kei-grande | 2018-01-19 18:56 | Outros その他 | Comments(0)