スーパーヘビー級

バカの一つ覚えというやつです

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バカだなぁ〜

と笑って貰えればそれがなにより(^_^)





めっちゃ重いです




好きに叩いてもらったらいいと思います
音もスーパーヘビー級ですよ♪



バカな人と良いご縁がありますように(^_^)




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by kei-grande | 2017-02-24 18:20 | Pandeiro パンデイロ | Comments(0)

さて、

竹ケテ

これはクルでしょ…という予感はあったけど
正直ここまでクルとは嬉しい驚き。

2/25・26、WS開催決定と同時に即満員御礼となりましたことに、
ただただ感謝の思いでいっぱいです。




ご縁のはじめは、私自身にとってほとんどはじめてだった“狩猟”という未知の世界と出逢った時、
郡上で開催された『第1回狩猟サミット』主催は猪鹿庁。
ここですでに糸は繋がっていた…その当時は知るよしも有りませんが。
さらには、そこに至るまでの様々なご縁、ホントにどこでどう繋がってきたのか…
ただただ縁とは不思議なものだと。

なんにせよ、
野生動物と人との関わりの不調和になにか他人事ではないことを感じ
同時にそこに関わらせて貰える純粋な楽しさからやってきたなか
なんだかその曖昧模糊としたモチベーションの核心部分へ
同じように他人事としてでなく自分事として取り組む人たちと
様々な機会に話をするなかで
少しずつ少しずつ迫りながら
昨年末あたり掴めそうなところまできつつ
あと一歩という感覚のなか

今回のワークショップを開催するにあたってのその段取りのなかでのやり取りで…
資材を“どこで”、“誰から”買うのか?
という話のなかで、
完全に我ながらスッキリまとまったなと。

今までにやってきた、そしてこれからもやって行くであろう
ワークショップの主旨はじめ、
太鼓を作ることの意味そのものに置いても、
そこに留まらない暮らしの営みすべてに置ける核心の部分についてまとまった感覚があったので、
それを書き残して置きたいと思います。

単純に自分自身がそう感じるというだけの話で
この考え方が絶対に正しいんだというつもりは
もちろんまったくございません。

そういう前提を踏まえた上で
読んでくれる人があればこの上なく幸いです。

WS開催の段取りのなかでやりとりの一部をほぼそのままですので
脈絡がわかりにくい部分有るかと思いますが…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モノを買う、売るとは、そこに掛けた手間の交換。
金銭を介しているけれど基本、物々交換と同じと考えたら…


それは相互扶助の一つの形なんだと。


それぞれの暮らしに置ける需要と供給


それぞれが得意としているコト・モノを
ソレを必要としている人に提供する
供給


自分自身が必要と欲しているコト・モノを
ソレを得意としている人に分けて貰う
需要

金銭というツールを単純にその仲だちだと捉えるなら

買う・売るとは、
暮らしの助け合い。

買ったモノ・売ったモノ
の背後には必ず人がいる
モノ以前に人が有りき

本来の物々交換ならば必ず人の手から人の手へ
そこに人を意識しないで交換することは出来ない

共同体としての人と人の関係性において
例えば、隣人に何かを貰ったら
じゃ、なにをお返ししようかな?と
釣り合いを考える
もしくはより多くのモノを渡したいと考える
なるべくそれより価値のないものをお返ししようとはなかなか思えないのが人

もう少し大きな共同体に置いて
例えば普段の生活圏を共にしない関係性
時折立つ“市”での交換だったとする
そうするとそこに金銭が介するかしないかは別として
なるべく少ない価値で多くの価値を得たいとの心理が働くのも人

その違いは何なのか?
それは関係性の距離感じゃないかな。

例えば“市”での取引でも
馴染みとなり、お互いの暮らしぶりにまで関心が向けば
関係性の距離感が縮まれば
やっぱり買い叩こう・ぼったくろうとは思えなくなるのが人なんじゃないかと。

関係性の距離感が近ければ近いほど、
互いの暮らしを扶助し合う共同体としての認識が高まる。
それは生活圏の遠近には関係しない、関係性の距離感なんだ。

じゃ、もし、自分の暮らしを助けて欲しければ?
生活圏の遠近に関わらず、関係性の距離感を近づければ良い。
どう近づける?
買い叩かない
ぼったくらない
そして、モノの背後に居る人に意識を向けること。

買うも売るも相互扶助。

助けて欲しけりゃ、助けろ。
買い叩けば買い叩くほど、ひるがえってボラれる。

モノの背後には必ず人がいる
関係性の距離感に関わらず絶対に人がいる
そしてその見も知らぬ人にもまた暮らしがある
買い叩けば
ボレば
それは必ず我が身に回り回って帰って来る


モノの背後には人がいる
市場が大きくなればなるほどそれが見えにくくなる
人が見えなくなればモノ・金しか目に入らなくなる
助けてくれるのは人なのに
モノはただのモノなのに

それが現在の歪みの大本
過疎化、里山の荒廃の根本の原因はそこなんだ
それを抑えずしてハンターを増やしたところで問題の根は変わらない

獣皮と竹に託した『音土不二』とは

『身土不二』
:われわれの身体は土地のモノ、口にするもので成り立っている。
それぞれの土地にはそれぞれの土地のエネルギーがあり、
そのエネルギーをいただき我々は生きている。

四季の移ろいに合わせて変わる旬の味覚は、
それぞれの季節に固有のエネルギーを持ち、
それを取り入れることで我々もまたその四季と一つとなる。
土地と人、自然と人は分かち難い共生関係に有る。
というか、良好な共生関係にある時に土地と人は調和する。
土地と人とが調和している時、
その時はもちろん人それ自体とりだしても見ても調和状態にある、
音楽がそうであるように。
つまり健康だね。

そういう昔からの言葉に…
楽器だってそうだよね
その土地の素材で作った太鼓にはそういう調和を作り出す力が必ず宿るよね
というかそういう調和のとれた社会を作ることを目指していこうよ
少なくともそういう旗印にはなるよね。

という想いを込めているのです。

森との調和を目指す人がはたして、
人と人の調和の形“相互扶助”を蔑ろに
買い叩き、ぼったくりするだろうか?
人の調和を蔑ろに、森との調和を図れるだろうか?

そんなことを想うのです。

モノの背後には人がいる

森との調和を願うなら、まずは土地の人に金を回せよ。
それは無関係なようでいて実はとても密接なこと。
地域起こしするのに、その地域に金を回さなきゃ、起きるものも起きない。
関係性の距離を縮めることが、人の調和に繋がる。
人の調和は場にエネルギーの循環の調和もたらす。


長〜〜〜〜い話でしたが、そういう想いで太鼓を作り、人の身体を整えして、人に助けられてなんとか生きております。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私自身の生命観、自然観が万人に共感出来る感覚であるとは思っていませんが、
こういう思いで生きてます、という宣言として。

ご縁に感謝致します。


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by kei-grande | 2017-02-10 00:23 | Projeto 企画 | Comments(0)