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木と皮と縄と

衝動的に太鼓が作りたくなった20代半ば

板を組み合わせた樽の太鼓
“アタバキ”
が、作りたかったんだけれども
どう作って良いのかまったくわからず

でもたぶん
空洞が有って皮が張ってあったら
とりあえず
それは太鼓になるだろうと

30cmほどの長さの丸太を手に入れ
鑿とトンカチで
コツコツと
何年かに渡って
気が向いた時に
コツコツコツコツと抜いたのが
初めでした。

二台目はサイズアップして60cmほどの丸太
鑿の柄を長柄にすげ替えて
3ヶ月くらいで。


やがて何となく樽の作り方も見当がつき
何台作ったか…


それでもやっぱり丸太を刳り貫く
という行為に妙な昂りを憶えるのは
遺伝子に組み込まれた原始の記憶?


チェーンソーという文明の利器の力を借りたとしても
なお変わらぬ昂奮アリ



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今年の2月に山から持って帰った伐採後間もない
(コレは虫喰いじゃなくて普通の)
のを
完成イメージも無いまま
ただただ一からくり貫いてみたい
という純粋な欲求のみにかられて
ぬいたのが
三月のあたま。

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以来、半年以上寝かせて乾燥

というか完成形がイメージ出来ず放置

それが今月に入って突然イメージが降りて来た

降りたら早いよ

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一気呵成

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柔らかく
それでいて芯の有る
めちゃ好みの音に仕上がった!



先日の
が、これまた凄く良くて

それを今度はもっとシンプルに
鉄無しで
人類が鉄を手にするより以前の素材のみで
アレに負けないような音を作れるか?!

という試み


ドンピシャ
大成功。



でも、それもこれも良い皮が有ってのこと。

これも例の
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これです。


鹿皮という素材、
初めは珍しさから使い始めたけれど
地域・季節・個体差などで違いの大きい
ひと筋縄ではいかない難しさと面白さに
すっかりハマってます。


木と皮と縄

シンプルな素材

それだけで

空洞があって皮がピンと張ってあれば
太鼓になる

太古の太鼓はきっとこんな感じだったんじゃないかな

遠いご先祖さまに想いを馳せる

そして
こいつがウマイ具合に行ったことに味をしめ



これ

木と皮と縄と、そして骨の

これも、いまいち張りが上げれなかったのをもうちょい骨足して
リニューアル

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だんぜんテンションアップ⤴︎






今週末はこの二つを持って
ご先祖さま?現代によみがえった縄文人に
縄文の太鼓はどんなだったかを聞きに行ってきます!








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by kei-grande | 2016-11-23 23:39 | Outros その他 | Comments(0)

職人の技に学ぶ

『職人』

-その事に喜びと誇りを持って仕える人-



ブラジルの楽器の意表を突かれるラフさに
日本の感覚では有り得ない粗っぽさ荒っぽさにひかれて

作り始めた太鼓



でも、そのラフさにもいろいろ有って


そこに愛が有るのか無いのか

一見同じようにアラく見えても
この、愛、違う言い方をするなら仕事に対する喜びと誇りの有無は
その仕事の質に隔絶の差を生むのです。

同じことは、一見キレイな姿をしていても
そこに喜びと誇りが無ければ…




そんなことをあらためて考えさせられた
職人の技の光る修理品
でした。


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同タイプの二枚。

一枚は皮の張替え、
一枚はジングルの欠損の補充と軸の交換。

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5箇所のジングル窓すべての軸が擦切れて…
ここまでなるのにどんだけ振ったのか?
ここまで使ってくれたら作り手も冥利に尽きるよね。

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そして驚いたのが、枠とリングのサイズ。

ここまで遊びの無いタイトな作りは始めて。

ぜんぜんラフじゃない

おれの方がよっぽど適当。



なんかね、
ラフなのがカッコ良いんだ
みたいな部分にフォーカスし過ぎてたような
そんな気がしたの。

大事なのは喜びと誇りを持って
作る、もしくは治す。

使ってくれる人が
その音を聴く人が
良い気分になる

そんな音に
そんな配慮に
気を配ること。

それが大事

みたいな。





自分の仕事を、ことこの太鼓作りに置いて『職人』
と自称することに抵抗を覚えてました。

なんか

  • 職人と自称することの出来るほどの仕事をこなしていない
  • 同じものを作り続けることに興味を覚えない
  • 期限もなるべく区切らずに気分しだいで作りたい

…自分自身のなかにある職人のイメージと一致しなくて



でもふと、オチも何も考えずに書き出した
この書き出し

-喜びと誇りを持って事に仕える人-

これを定義とするなら
なんの矛盾もなく
この太鼓業に関しても
『職人』と自称しても良いかな

なんて、
思ったのでした。


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by kei-grande | 2016-11-16 19:41 | Reparacao 修理 | Comments(0)