カテゴリ:Projeto 企画( 90 )


30年間

…毎晩毎晩、晩酌しながら3時間かけて二丁の鉈を研ぐわけさ
最後に毛脛をこう剃ってフッと
毎日毎日1銭にもならない枝打ちに出掛けて
一本だけ伐って担いで降りて来る
それが唯一の現金収入なわけさ

三十年間そんな毎日を続けた親父の姿を見てたら
それを無下にはできん
その仕事を無下にするわけには行かんのさ…

f0257789_19383302.jpeg

“きこり”

山を育て水を守り国土を守る
という壮大な気概の下
無節の一本柱を育てるという超絶技術は
自然と人との関わりのバランスを執る超絶アート
親から子へ孫へと受け継がれる芸術
伝統芸術だ

その価値が報われることの少ないこの国の今は
とても貧しい時代なんだ
と思う

その技術が受け継がれて来たのは
その技術に対して正当に評価できる豊かな時代が有った証だから

失われゆく技術は多々あれど
人と自然とのバランスを察る技術
これは絶やして良いものではない
と思う一方…

そんなに簡単に折れるほど山の漢はヤワじゃない
壮大な気概は受け継がれている
というか山に惹かれる漢は
世襲関係なく
デカイ漢が多い

と感じたきこりフェス打ち上げの晩

山師
いろんな意味合いで使われる言葉だけど
発想が壮大
考えることがデカい


凄い人が山には棲んでる
山の人で「仙」
仙人は居る
現実に居る
お伽話の世界だけの話じゃない



[PR]
by kei-grande | 2017-10-10 19:43 | Projeto 企画 | Comments(0)

f0257789_19344809.jpeg
この赤だったか

「ビルマの土は赤い…」のナレーションで始まる
映画『ビルマの竪琴』(モノクロ版)を思い出す


ミャンマーの色
夏用シャツ
これ着心地サイコーだから
頂き物

手織り
手染め
手縫い

距離を越え人の手を感じさせてくれるモノ




“理由、違います

僕たちの世代と
今の若いヤツら

若いヤツらは口開けば
「イチジカン イクラ デスカ?」
(ミャンマーと日本の貨幣価値は1:7 )
毎月5万送れたら
もうそれだけで大きいです
みんなそう思って日本くる
でも仕事厳しい
お金安い
難しい

若いヤツらは日本に居てもお金しか見てないです
日本の良いところ見る気持ちない
言葉難しいだから日本語話そうとしない
それじゃダメ
友達できないです

若い奴らは見る目がない

困ったとき助けてくれるのはお金じゃないよ
仲間だよ
難しい言葉わからなくても簡単な言葉で友達なれます
友達たくさんいたら仕事来る
お金勝手に入ってくる

1時間いくらの仕事しててもお金入ってこない
お金だけ見てたら生きる意味ないです

人生は楽しい一番
仲間いなければ
楽しくないです
仲間で助け合って仕事お互い回したら
お金は勝手に入ってくる

若いヤツらそこわかってない
若いヤツらは…”


f0257789_19534341.jpeg


と語るのは出稼ぎ世代ではなく亡命世代のゾーさん。

元学生運動のリーダーで国を追われ
地下ムエタイのファイターを経て
日本で事業を興し
名古屋ミャンマー人社会の顔役

「水さえあったら、御飯が茶碗一杯でもお腹膨れます、だから水大事!」
底を知ってる人の言葉はずっしりと地に着いた重み



言葉の問題と音楽って似てるな、とか思って
難しいこと喋ろうとしなくても
簡単なことで結構楽しめたり
楽しい時間を共有したら自然と仲良くなれるし

みたいな。

f0257789_19321420.jpeg

去年に引き続きの「ミャンマー水かけ祭り」
ユルくユルく出店

f0257789_19331388.jpeg

ミャンマーの若いヤツらにハセガワさんのヤバい仕事を
スゲー仕事を見せたいんだ
と声かけていただき

光栄です

なお励みます。



…映画のような人生もゴロゴロしてる
話を聴いてみると案外

面白い






[PR]
by kei-grande | 2017-06-16 20:06 | Projeto 企画 | Comments(0)

f0257789_23410653.jpeg
“ちゃん”づけでは畏れ多くて呼べません

デヴァさん
ケテドラムを叩いて30年で得た
音の持つ力の ヒ・ミ・ツ 大公開です!

太鼓やってみたいけど
なんか難しいんじゃないの?

という方もぜんぜんOK♪
むしろ予備知識要らないかも
むしろその方がストレートに響くかも


っと、琴線に響いたなら迷わずGO!



グランジ工房はケテドラムのレンタルと販売で協力させていただきます


竹ケテ

f0257789_21351516.jpeg


来る来るとは思ってたけど

来てますよ〜



限定10名ほど

デヴァさんの音の世界、是非ご一緒に

f0257789_23201315.jpeg



[PR]
by kei-grande | 2017-04-20 23:54 | Projeto 企画 | Comments(0)

f0257789_21502815.jpeg
なにこれ!

なにこの障子!?

っていうかこの紙!

ファーストインパクトがこれ


そんだけのナニカを放つモノでした。


それからすぐに
偶然にもとあるWSを一緒にやったのが
その紙を漉いた当人だったという
これまた驚きの出逢い


そこからはもう話はトントン進むよね、そりゃ

俺に出来ることといったら太鼓作ること

じゃ和紙使って太鼓作りWSやろか

と、まだやったこともないのに安請け合い



直感で出来ると思ったんだもん


為せば成る





4/23(日)10:00-16:30
美濃和紙の里会館 芝生広場にて開催の
《美濃和っ紙ょいマルシェ vol.3》
WS出店します!


昔話でよく宝物のなかに反物とかあるじゃない?
あれを宝だと思える感覚
子供のころの俺にはなかった

でも今ならわかる
途方もない時間ととにかく面倒くさい労力をへて
織り上げられ、また染め上げられる布は
そこに込めた人のエネルギー
それ自体に価値がある
それが宝なんだと

和紙も同じ
途方もない工程をへて漉きあげられた紙は
もうホントヤバいよ
絶対にぞんざいには扱えない
オーラっていうと安っぽい
気品、気位を放ってる

人の込めたエネルギーこそが本当の宝なのです!


その気品・気位は一見の価値有り!!!
お時間の有る方は《美濃 和っ紙ょいマルシェ》へ是非!!!!!


[PR]
by kei-grande | 2017-04-20 22:08 | Projeto 企画 | Comments(0)

作ること と 使うこと

作ると使う


作ること

それは想像すること
日々作りながら想像するんです

どうしたら良い音になるか
気持ちの良い音になるか

でそれを求めて工夫に工夫を重ねるわけ

そんな感覚
じつは使う時
叩く時もまったく一緒なんじゃないかと
ふと。

どうしたら良い音に鳴るか
気持ちの良い音に鳴るか

工夫に工夫を重ねる

一音一音に意識を持って出された音は
聴覚だけじゃなく人の意識に響く

逆に音なんてどれでもおなじでしょ
と出された音は
ノイズとして
聴覚はそれを捉えても意識には響かない


…そんな感覚
このところ湧きあがってきたこの感覚を確かめたくて

使う方、つまり叩く方のWSも最近始めました

f0257789_19593919.jpeg



f0257789_19554469.jpeg
手応えはありました。

太鼓屋の太鼓WS
作るだけじゃない叩く方も
この先
良いご縁が有りますように(^_^)


[PR]
by kei-grande | 2017-04-19 19:11 | Projeto 企画 | Comments(0)

f0257789_01061802.jpeg


「環境問題じゃないんですよね。」
「環境問題じゃねぇだよ、俺たちがやりたいのは…」


実行委員の核を為す二人が口を揃えてそういう。

そうそう、だよねぇ

俺もそう思うよ
環境問題じゃねぇんだよ

…じゃ、何?
っていうと、これがなかなかスパっと言い表せなくてモヤモヤとね…


でもふと閃いた!

死生観の問題なんじゃねぇか?

富士山麓の環境
なかでも人の営みと密接に関わる動植物(ダニ含む)を切り口に
命をいただいて生きる命をどう捉えるか

活かし活かされして巡る
生と死を意識することなんじゃないかと
ふと。


高いとか安いとか
経済に代表される虚構のシステムが生む様々な硬直をほぐすのは
リアルな生命感
たぶんね。


そこに善悪や正解不正解はなく
ただただ感覚だけがあるんだと思う。


そういう感覚に対して働きかけたい
というのがつまるところ狙いなんじゃないかなぁ?

と、ふと。

で、だから俺は関わっててウマが合うんだと。



f0257789_01075344.jpeg




[PR]
by kei-grande | 2017-04-14 01:09 | Projeto 企画 | Comments(0)

f0257789_21233771.png
あっ



という間にもうひと月以上前のこと…
ですが振り返り。


話が来て勢いでポンポンポーン
と、
一泊二日でガッツリ出来る!
とあって
コレカナリムチャジャネ?
というハードな内容を盛り込みましたが…

やっぱりかなり無茶でした。
無茶でしたがムチャクチャ楽しかったのは
たぶんあの場に居た人みんな感じてたことと
確信しています。

また次回!
こんな無茶なワークショップやりたいです。
ムチャクチャなワークショップ
ほかにはなかなか無い!
と思います。

乞うご期待!


[PR]
by kei-grande | 2017-04-10 16:14 | Projeto 企画 | Comments(0)

さて、

竹ケテ

これはクルでしょ…という予感はあったけど
正直ここまでクルとは嬉しい驚き。

2/25・26、WS開催決定と同時に即満員御礼となりましたことに、
ただただ感謝の思いでいっぱいです。




ご縁のはじめは、私自身にとってほとんどはじめてだった“狩猟”という未知の世界と出逢った時、
郡上で開催された『第1回狩猟サミット』主催は猪鹿庁。
ここですでに糸は繋がっていた…その当時は知るよしも有りませんが。
さらには、そこに至るまでの様々なご縁、ホントにどこでどう繋がってきたのか…
ただただ縁とは不思議なものだと。

なんにせよ、
野生動物と人との関わりの不調和になにか他人事ではないことを感じ
同時にそこに関わらせて貰える純粋な楽しさからやってきたなか
なんだかその曖昧模糊としたモチベーションの核心部分へ
同じように他人事としてでなく自分事として取り組む人たちと
様々な機会に話をするなかで
少しずつ少しずつ迫りながら
昨年末あたり掴めそうなところまできつつ
あと一歩という感覚のなか

今回のワークショップを開催するにあたってのその段取りのなかでのやり取りで…
資材を“どこで”、“誰から”買うのか?
という話のなかで、
完全に我ながらスッキリまとまったなと。

今までにやってきた、そしてこれからもやって行くであろう
ワークショップの主旨はじめ、
太鼓を作ることの意味そのものに置いても、
そこに留まらない暮らしの営みすべてに置ける核心の部分についてまとまった感覚があったので、
それを書き残して置きたいと思います。

単純に自分自身がそう感じるというだけの話で
この考え方が絶対に正しいんだというつもりは
もちろんまったくございません。

そういう前提を踏まえた上で
読んでくれる人があればこの上なく幸いです。

WS開催の段取りのなかでやりとりの一部をほぼそのままですので
脈絡がわかりにくい部分有るかと思いますが…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モノを買う、売るとは、そこに掛けた手間の交換。
金銭を介しているけれど基本、物々交換と同じと考えたら…


それは相互扶助の一つの形なんだと。


それぞれの暮らしに置ける需要と供給


それぞれが得意としているコト・モノを
ソレを必要としている人に提供する
供給


自分自身が必要と欲しているコト・モノを
ソレを得意としている人に分けて貰う
需要

金銭というツールを単純にその仲だちだと捉えるなら

買う・売るとは、
暮らしの助け合い。

買ったモノ・売ったモノ
の背後には必ず人がいる
モノ以前に人が有りき

本来の物々交換ならば必ず人の手から人の手へ
そこに人を意識しないで交換することは出来ない

共同体としての人と人の関係性において
例えば、隣人に何かを貰ったら
じゃ、なにをお返ししようかな?と
釣り合いを考える
もしくはより多くのモノを渡したいと考える
なるべくそれより価値のないものをお返ししようとはなかなか思えないのが人

もう少し大きな共同体に置いて
例えば普段の生活圏を共にしない関係性
時折立つ“市”での交換だったとする
そうするとそこに金銭が介するかしないかは別として
なるべく少ない価値で多くの価値を得たいとの心理が働くのも人

その違いは何なのか?
それは関係性の距離感じゃないかな。

例えば“市”での取引でも
馴染みとなり、お互いの暮らしぶりにまで関心が向けば
関係性の距離感が縮まれば
やっぱり買い叩こう・ぼったくろうとは思えなくなるのが人なんじゃないかと。

関係性の距離感が近ければ近いほど、
互いの暮らしを扶助し合う共同体としての認識が高まる。
それは生活圏の遠近には関係しない、関係性の距離感なんだ。

じゃ、もし、自分の暮らしを助けて欲しければ?
生活圏の遠近に関わらず、関係性の距離感を近づければ良い。
どう近づける?
買い叩かない
ぼったくらない
そして、モノの背後に居る人に意識を向けること。

買うも売るも相互扶助。

助けて欲しけりゃ、助けろ。
買い叩けば買い叩くほど、ひるがえってボラれる。

モノの背後には必ず人がいる
関係性の距離感に関わらず絶対に人がいる
そしてその見も知らぬ人にもまた暮らしがある
買い叩けば
ボレば
それは必ず我が身に回り回って帰って来る


モノの背後には人がいる
市場が大きくなればなるほどそれが見えにくくなる
人が見えなくなればモノ・金しか目に入らなくなる
助けてくれるのは人なのに
モノはただのモノなのに

それが現在の歪みの大本
過疎化、里山の荒廃の根本の原因はそこなんだ
それを抑えずしてハンターを増やしたところで問題の根は変わらない

獣皮と竹に託した『音土不二』とは

『身土不二』
:われわれの身体は土地のモノ、口にするもので成り立っている。
それぞれの土地にはそれぞれの土地のエネルギーがあり、
そのエネルギーをいただき我々は生きている。

四季の移ろいに合わせて変わる旬の味覚は、
それぞれの季節に固有のエネルギーを持ち、
それを取り入れることで我々もまたその四季と一つとなる。
土地と人、自然と人は分かち難い共生関係に有る。
というか、良好な共生関係にある時に土地と人は調和する。
土地と人とが調和している時、
その時はもちろん人それ自体とりだしても見ても調和状態にある、
音楽がそうであるように。
つまり健康だね。

そういう昔からの言葉に…
楽器だってそうだよね
その土地の素材で作った太鼓にはそういう調和を作り出す力が必ず宿るよね
というかそういう調和のとれた社会を作ることを目指していこうよ
少なくともそういう旗印にはなるよね。

という想いを込めているのです。

森との調和を目指す人がはたして、
人と人の調和の形“相互扶助”を蔑ろに
買い叩き、ぼったくりするだろうか?
人の調和を蔑ろに、森との調和を図れるだろうか?

そんなことを想うのです。

モノの背後には人がいる

森との調和を願うなら、まずは土地の人に金を回せよ。
それは無関係なようでいて実はとても密接なこと。
地域起こしするのに、その地域に金を回さなきゃ、起きるものも起きない。
関係性の距離を縮めることが、人の調和に繋がる。
人の調和は場にエネルギーの循環の調和もたらす。


長〜〜〜〜い話でしたが、そういう想いで太鼓を作り、人の身体を整えして、人に助けられてなんとか生きております。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私自身の生命観、自然観が万人に共感出来る感覚であるとは思っていませんが、
こういう思いで生きてます、という宣言として。

ご縁に感謝致します。


[PR]
by kei-grande | 2017-02-10 00:23 | Projeto 企画 | Comments(0)

音土富士の夜

f0257789_17515592.jpeg

ご縁あって

皮や竹や木

そしてWSなど

活動の範囲をグンっと広げてくれた富士宮へ。


お礼の太鼓を奉納に
10/22は
『第3回うつぶさ音楽祭』へ




f0257789_18025298.jpeg


まさに
その土地が育んだ木で
その土地が育んだ鹿で
作った太鼓を

まさに
その木を伐った人と
その鹿を獲った人と
彼らが催す祭りにおいて
天高く地深く打ち鳴らす
という

最高の舞台での奉納。

うつぶさの皆さん
うつぶさの山の神々
ともども喜んで貰えたのなら幸いです。



「風土」という言葉は、

風:外から来るもの


土:土着のもの

とが合わさり日々形造られるその土地の姿のことだ
と教えてくれたのは
いつもお世話になってる猟師の道男くん。

イイ風になれたかなぁ。


いつもありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。

また遊んでね〜♪

f0257789_17525274.jpeg


それぞれの立ち位置で
それぞれに出来ることを
なにものも傷つけないハッピーな在り方を探りつつ…

共に在れたら良いよね。

探りつつ…
五感六感ひらいて…

精進します。



[PR]
by kei-grande | 2016-10-28 21:28 | Projeto 企画 | Comments(0)

なんだかバタバタしてるうちに
日はドンドン過ぎ…

10/15・16は
『土と平和の祭典』



《森のたね》とコラボしての東京初進出でした。

f0257789_01434433.jpeg

場所は日比谷公園

といっても
東京の地理まったくわかんなくて…

向かってビックリ!(◎_◎;)
何ここ…
霞ケ関とか皇居とか桜の代紋とか
まさにこの国のシステムの中枢の地へ
ケモノ臭と共に降り立つ。

なんか笑えた。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1599074227061989&id=100008782806069

さまざまな制度
人の都合の取り決めの中枢で

土の、
大地の都合に寄り添う祭りを行うというこの行為…

かなり過激な、しかし静かな“テロ”だな、
ある意味。

しかも10年目。

この祭りの仕掛人たちの心意気に撃たれます。



なんか日だけがドンドン過ぎて
すでに遠い昔のような気にもなり
さてどんなだったかと振り返ってみれば、

とにかくたくさんのご縁ある方たちが遊びに来てくれたことが
一番嬉しかったなぁ。

そして、2日通して終始人に溢れた大盛況。
街にあってこそ
野山の気は強く求められていることを実感。

2日目は森のたねも合流し活気はさらに。
土に根ざした祭典のなかでも一際異彩を放っていたんじゃないかと。


鹿皮と竹を使った楽器作りWS
《投げ銭式》も
結構これで喰っていけるんじゃねぇ?
みたいな手応え。

銭金いくらみたいなのを手放しても
案外やっていけるような
そんなイイ感じの手応え有りでした。


いくら払ってもらうんだから
このレベルのクオリティーは保証しなきゃ

とか

この値段なんだから
やれるのはここまででしょ

とか

追われるような責任感も
出し渋りも

なんもかんも放り出して

自分も含め来てくれた人が楽しめる空間を
楽しい時間を過ごせるよう
ただただそれだけ押えて置いたらいいっていう

すごく解放された感じ。

イイ感じ。

人がたくさん来てくれたからこそ言えることですが。

人がたくさんいるっていうのは
それだけで凄いエネルギーだね。

毎日こんなのも疲れちゃうけどね。

たまの祭りだからこそイイね。


https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1599885466980865&id=100008782806069



さてさて、
秋は夕暮れ
祭りは夜。

人が集えば
そこには自然と音楽が

背景は皆さまざまで
お決まりの約束事とかなんもない

なんでも有り

何が出て来るかわからない


そんななかに一人
独特のリズムを持つ人有り

その独特のリズム

流れる音楽とは関係性なくただみんなを笑わせるような
お喋りをしているかのようで…

でも、
なんかその喋りに
な〜んか
リズムと呼べるような規則性があるようなないような
独特の不思議な節回し

なんか気になる

そのリズム

そのリズムというか節を追いかけて
なんとか掴まえようと追いかけて行くうち…

ある瞬間に場のすべての波長がピタリと合った

…とその瞬間、
喋りがそこに在る音楽と共鳴し
詩となり
唄となる

どこからか湧き出てくるのか?
というくらい次から次へと
即興で唄が産まれ落ちて来る



唄が産まれる瞬間に立ち会えるって
なかなかないよ


魂の独白のような
その人の負ってきた背景が絞り出て来るようでいて
あとに残らないサラッと感

その場限り

その時と場を共有した人だけが味わえる

残すことを前提としない

生まれては消えて行く

まさに淀みに浮かぶ泡沫の如く

儚いからこそ

鮮烈




凄い人っているもんだね。


異能の人

彼の名は
『キリマン』



きっとね
こういう才能を持つ人は昔から形を変えてずーっと居るんだよ。
記録に残らないだけで。

痕跡を残さない才能や文化

残るモノ
残らないモノ

表と裏



世の中にはホントいろんな才能があるもんだ

そしてその才能と銭金
あるいは社会的評価
必ずしも結びつかなくても
凄いものは凄い

と、

そんなことを。

結びつきにくいモノって
たくさん有るからね。


凄いモノは凄い!



残らないモノ…
土に還るモノ…
生まれ消えて行くモノ…



“永遠”の対極

“今ここ”


…そういうことか





歴史に残る業と
生まれては消えて行く泡沫のごとき人の営みは
対極にあるからこそ等価だと。


そんなことをふと。


f0257789_15382079.jpeg


[PR]
by kei-grande | 2016-10-28 20:49 | Projeto 企画 | Comments(0)