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8月のアレコレ

8/5・6




九州一円を代表する南米音楽の祭典!

新作取り揃えた楽器販売と
“シンプルな素材でシンプルな楽器作り”
“リズムあそび”
ここ最近かたちになりつつある
ここんとこのスタイルで出店しつつ
ひさびさのカポエイラを前に
血が騒ぐのです( ^ω^ )


8/17
『八祭』




徹夜踊りで知られる郡上八幡
郡上踊り
なんとこの祭り
四日間ぶっとおしの徹夜で踊るというだけでも驚きの祭りなんですが
夏の間ずーーーーっと
ほぼ毎日徹夜踊り以外の日もやってるっていうブッとんだ祭りなのです!

そしてこの夏唯一の公休日
徹夜明けの17日!

この伝統の祭りに新しい風を吹かす
新しい祭りが開催されます♪

伝統の上に形作られ守り継がれて来たスタイル
伝統を下敷きに生まれ出た新たなスタイル
とが出逢うときに生まれる新しいナニカ

それはいったいなんだろう?
きっと面白いことが起きるに違いない


そういう感じで盛り上がって生まれた祭です


いわゆる伝統とは違う形ながらも
やっぱり根っこの部分で民謡の血筋を受け継いで現代に生きる音楽
型としての伝統文化
民謡の
確率された一つのスタイル

とのコラボレーション

さらには…

伝統が伝統として守り継がれ受け継がれて行くなか
時代の変遷と共に
蓋をされ
表舞台から姿を消す
そんな伝承の断絶や改編
ということは
どんなことに置いてもよく有る話で

この祭の隠れたもう一つの目玉が
「むかし踊り」の一夜限りの復活!
現代に置いては歌詞が卑猥過ぎて放送禁止用語満載の

そんな今は封印されてしまったかつての生々しい民踊歌

聴けるらしいですよ♪
めちゃ楽しみ( ^ω^ )

土地と共に人から人へ受け継がれて来た音楽は
その土地と人とを繋ぎ合わせる
すなわち
グラウンディング
地に足が着く
そういう力を持っている
音楽ってそういうこと
なんだと
思ってたりする


そして
8/19は三国山



djembe
じゃんべ
へと
この土地に土着させた偉大な先人
内山伸治さんの遺品の一部を
音の鳴る状態にまで仕上げちゃおう♪
という企画

午前10時くらいから日が暮れるまで
もしくは暮れた後も
のんびりゆっくりおしゃべりしたり
内山さんの奥さんの振る舞いをいただきながら
呑める人は呑みながら

作ろうかと

音あそびもね


そんな感じの8月に突入!
気持ちがまだ追っ付いてないけど




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by kei-grande | 2017-08-02 22:23 | Outros その他 | Comments(0)

ミチミチのトモガラ

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中世の日本
士農工商といったザックリとした身分制では捉えきれない
多様な暮らしの姿があったことを掘り起こした歴史学者 網野善彦
網野史観から生み出された小説家 隆慶一郎の作品の世界観に憧れた

そこに登場するのは
「カミナシ・上無し」を標榜し
権力の庇護の下につくことを良しとしない自由な民衆の姿
職能民に芸能民、武芸者や山の民、川の民、海の民…

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それぞれのフィールドが違えど身も心もひとところに縛られることを嫌い
己の持つ才覚で天下を泳ぎ渡る彼らはまた
「道々の徒・ミチミチのトモガラ」とも呼称した

自分の先行きに息苦しさしか感じれなかった時代に
希望の光となったこの世界観
何を持って俺は生きる?
っていうところを考え出したきっかけ

そんなふうに自由に生きたくて生きたくて生きたくて…

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あれ?

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やっぱり?


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昔の話ってだけじゃないじゃないよね
これって現在進行形である人の営みそのものじゃん


っていうのをヒシヒシと感じるこの頃

「みちみちのともがら」はそこかしこに居る

そんなふうに思います。



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2017年も半分以上過ぎての雑感まとめ

自由になりたい
自由でいたい

ひたすらそれに尽きるなぁ

太鼓
音楽
カポエイラ

整体

全部そこに集約される





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by kei-grande | 2017-07-24 22:05 | Outros その他 | Comments(0)

「アート」って…なに?

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先日
「アート」な香り高い場所へ

https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=1689585791344165&id=100008782806069

人前で対談をするという初めての機会を頂きました

「職人」という言葉も
太鼓作りに置いてはまだいまいち自分のなかでしっくりとは来ていない感じなんですが

果たして自分は職人といえるほどの突出した技をもっているのか?
という疑問
同時に
じゃ、まだ見習い程度か?
というと
それもまた違う
この拙さを持って自分の価値を問おうという肚は座ってる


じゃ、「作家」?
「職人」とは何が違うの?

または「アーティスト」?

「アート」ってなに?

アートという言葉が「藝術」と翻訳されたのは確か明治に入ってからのこと
わりと新しい言葉

じゃぁ、まず「藝」ってなに?

芸能・武芸・芸事…

どうも、この「芸・藝」という字は
喰ってくためには一見有っても無くてもどちらでも良いこと
直接的生産に関与しない
ハレ・とケで云えばハレ事に関わる技
音楽、舞踊、など祝祭を彩る技術
そんなニュアンス

「術」とは
広く暮らしのスベ
それぞれの暮らしの営み全般に置ける身体運動をより楽に
より構造の理にかなった身使いへと
工夫に工夫を重ねた歳月の分だけ深みを増し続ける
言ってみれば
筋力など加齢と共に必ず衰えるモノから来る力に頼らない
“力の性質の転換の技”(これを中国では功夫という)の道筋こと
と仮定する

それは生まれ持った才能じゃない
若き天才はいても
名人、達人と言われる人は必ず老人であるという事実

技の上限を限定しないで工夫をし続けることでどこまでも進化・深化し続ける道筋
それがたぶん「術」という言葉に含まれた意味

ということは「藝・芸」も「術」も同じことと言っていい
「術」の方が概念としてはより広く、その中に「藝」の概念が包摂されてる

ということは
「術」はハレもケも含み
「藝」はハレ事オンリー

「藝術」という言葉は

藝+術=藝(ハレ)+術(ハレ・ケ)=2ハレ+ケ

で、ハレの要素が強く印象づけられている
そんな勝手な推測…

だから

日々喰うのにカツカツの俺たちには藝術ってよく分からんし
なんか難しいんでしょ
お高いの?

みたいな
雲の上の話みたいな印象なのかも

昔なんかの雑誌で読んだ
スペイン語では日本語的な感覚でのゲージュツ家といわゆる職人どちらもアルチザン(アーティスト)と呼ぶって

ポルトガル語でもやっぱり
Artesão

日本語にすると響きが違うけど
要は同じってことですね

さらにアートの始原を
語源を音からたどれば
それは古代インドの思想哲学にある
“アートマン”に辿り着くんじゃないかと

まったく根拠はないけどね

ブラフマン・梵
アートマン・我


ブラフマンは宇宙の原理原則
アートマンは自己存在の中心

梵と我
部分と全体は等価である
とする考え方を
『梵我一如』
という

陰陽太極とよく似てる
っていうか
同じコトを違う切り取り方で捉えてるだけ
文化的違いだね




どうしようもなくそれがしたい
という身の内からの衝動
自己存在の中心からの欲求

それがハレであれケであれ
日常茶判事であれ祝祭事であれ

アートマンの働きと共に在ること
それがアートだ!


どうしようもなく太鼓が作りたい
どうしようもなく身体を整えたい
どうしようもなく土に触りたい
どうしようもなく裸足になりたい

これはアートマンの働きだ

どうしようもなく富士山麓の現状をなんとかしたい
どうしようもなくケモノを捕らえたい
どうしようもなくホネが好き
どうしようもなく解体が好き
どうしようもなくダニが好き
どうしようもなく“神の一杯”の珈琲が淹れたい

全部アートだ

どうしようもなく絵が描きたいことや
どうしようもなく音楽が創りたいことや
と同じアートだ

やりたいことをやる
それがアートマンひいては等価であるところのブラフマン
世界の根本原理に従うこと…

そういう話?






…先日のお話会のなか、鹿をテーマに扱った豆さんの作品に込めたメッセージに対し

「アートの本筋から離れてる!それはアートのすべきことではないのでは?」

みたいな
参加して下さったある方からの発言を受けて…

俺なりにモヤモヤしてた「アート」と「職人」について
考えてみたこと。

ちなみに今、太鼓関しては
年季奉公が明けて独り立ちして数年くらいの
“脱新米中の職人”
みたいな感覚がしっくり来る






『ボディワーカーもミュージシャンと同じアーティストだと思ってるよ
技術を持つ人はみんなアーティストだって』
:Deva


『アートじゃ喰えん って意味わからんし』
:白砂勝敏



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by kei-grande | 2017-06-05 19:49 | Outros その他 | Comments(0)


人から学ぶことが苦手でした

言われたことを言われたようにただやる
これが出来ない

なぜ出来ない?
と言われても
身体が動いてくれない

そんな
損な
性格で

自分の身体が動きやすいやり方で
それが出来るようになればいいんでしょ?

とか思って
すぐ自分流にアレンジし
自分勝手に好き放題やって
人とうまく歩調を合わすことが出来ずに衝突することもしばしば
だから『愚乱児』という名前がついたりする…

メンドくさい生徒でした。


ここのところ
デヴァさんのケテWSを楽器提供という形で加わらせて貰ってて
ふと





誰よりも早く到着して楽器を降ろし
人を集めて参加者を募り
WSが始まれば
じっとデヴァさんの音を聴き
デヴァさんが主役場の空気感に
如何に違和感なく参加するか
参加してくれた人が
楽しいかった
また来たい
と思える環境を作るには
自分はどう振る舞ったらいいのか
自分の役割を探る

『音楽を一から勉強し直せ!』
(一も二もなく、あんまり深く考えたことすらなかったんだけど)
と一喝してくれたデヴァさんの捉えてる音楽観とは一体どんな世界観なのか
今にも跳び出しそうな“我”をじっと抑えて
目前に拡がっている音の世界をじっと観察する

WSが終われば大量の太鼓をパズルのピースを埋めるように車に積み込みながら
その日のWSの成功を嬉しく思う

…なんかこの感覚って…『弟子』的感覚?


学ぶとは
とにかく観察することなのかも

よく観て
察すること

出来る出来ないよりもまず
観察すること

ただそれだけなのかも


ただ観察する
ただその世界観を観る

そうすることで跳び出しそうな“我”が発見できる

それがオリジナルな自分
それが自分の世界観

それは他者が有って初めて認識できるコト
自分だけ見てても自分のことはわからない

他人が観えて自分が観える
自分を知るには他人を知らなければ

自分に出来ること自分がしたいことは
人を観察することで観えてくる

観察の対象として観れば
人はみんなお師匠さん

…みたいなことが40にしてようやく腑に落ち始めたこの頃です。


“講義の始まる時間に来て終われば帰るのが、生徒。
講義の準備から片付けまでまたそれ以外でも師と共に過ごすのが、弟子。”

:Mestre Rene (たしか…)



ご縁に感謝(^_^)


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by kei-grande | 2017-06-01 21:45 | Outros その他 | Comments(0)

自分というモノを知るには
自分とはぜんぜん違う人が必要なようで…

ぜんぜん違うのに
どこか相通づるモノを感じさせてくれる人

そういう人と出逢えたらサイコーですね


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《sumikov》

“暮らしのすみっこにある幸せ”
をコンセプトとして様々なオリジナル楽器を作られています。

パンデイロ繋がり(➕鹿皮繋がり)でいただいたご縁。

お互いの作風はまったく正反対ながら
根差すところは同じところに在ったりして
話をするたび新しい発想を気づかせてくれる
言って見れば“同士”のような…そんな仲。




楽器とは
表現者の発想しだいで無限の可能性を持つモノ

ほかにはないオリジナルの楽器には
すでに確立された奏法など存在しない

だからこそ誰もがまったくのオリジナルで
真っ白な状態で向き合うことができる

音楽の始まりの地点
創造の始まりの地点
想像の始まりの地点

誰もが“始まり”の地点に降り立つことができる


“暮らしのすみっこにある幸せ”

なにかを創り出すこと
まったく新しいなにかを
自分自身の手で創り出したいという身のうちから湧き出る欲求
それを満たしていくことに
人は幸せを感じる生き物なんじゃないかなぁ〜

たとえ手の平にのるくらいの小さな創造
でも
人類の暮らしを一変するくらいの大きな創造
同じだけの幸せを得ることが出来る生き物なんじゃない?

人間ってやつは…

みたいな想いが込められている
とか思ったりします。






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試奏してみて欲しいと贈っていただき…


“始まりの地点に降り立ちたいのは俺
すみっこの幸せを作りたい彼


幸せとは日々想像すること
新しいナニカを創造すること
と仮定すれば

幸せ=創造の開始

そこに大小による優劣という比較概念は用を為さない”


…みたいな思想を巡らせてみたのだった(^_^)












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by kei-grande | 2017-05-24 20:06 | Outros その他 | Comments(0)

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太鼓屋で店を出しながら
太鼓は一個も売らず

気持ちの良い音楽のもと
ふだんよりも沢山の人の身体を触り整えつつ
太鼓で遊び
太鼓に学ぶ

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翌日は富士山麓の環境について
太鼓屋の目線と整体観から話をし

今週末の橋の下世界音楽祭では
WS出店をしつつ一方では
「まぐあいを聴き語る会」に太鼓で盛り上げ役と整体観という部分で関わる





自分の持ってるモノで人様のお役に立てるんなら
なんでも節操なく

…というここのところのスタイル

さまざまな場で出会うさまざまな人の
暮らしの多様性
多様な価値観と触れるなか
それぞれを根底で突き動かしている情動の
それぞれ違うモノ同士がココに置いて共有できる
共鳴できる感覚のポイントって

この感覚ってナイヤビンギでのハートビートの感覚に等しい
根底にあってすべてを支えてるモノ
それが了解できれば
そこを共有してさえいれば
違いは対立しない
違うモノ同士が一つのウネリに乗れる
かえって
みんな違うからこそそれぞれの持ち味が光る
その場限りの
そこに居合わせた人が
作り出す
生きた音楽
地に足の着いた血の通った音楽が生まれる…


どんな音楽でもその根底に在るところに着地出来たら
着地点さえ見つけれれば
誰でも遊べるモノ

なんじゃね?
音符という記号ありきが音楽ではなく
音楽をデータ化可視化したソフトが音符なんだという話で。

どんな価値観であれ
お互いが一緒に立てる地点を見つけれさえすれば
違いは対立を産まない
人は誰とでも遊べる…

それぞれに違う命
喰い喰われるという関係性においても
それは同じことなんじゃないか
命の根底に潜れば
喰い喰われは
活かし活かされ
と同じこと

なんじゃね?
みたいなことを
感じつつ

そんな感じのなかから
また思うこと…



【生と性と死、心と身体とタブー、そしてグラウンディング】

“心”と“生”の二つが合わさってなる“性”

心=脳の働き

であるなら

身体感覚=脳の働き

すなわち
身体感覚は心の一角をなすといえる



身体感覚とは“生”より芽生える

であるなら

“性”とは身体感覚感覚に基づく心の働きのこと
身体感覚=性

といえる。



身体感覚に基づく“性”という脳の機能は同時に、
ともすれば浮遊しがち思考(全体として捉えた心という脳の働き)を
リアルな“生”に繋ぎとめる役を担っているともいえる。

「地に足の着いた血の通った知」
それが“性”という字の表す概念
なんじゃないかと…

という前提で“性”を考えると
男と女、微妙な身体構造の違いが微妙な“心”の働き方の差を生むのはなっとくできる話。
たとえ同性であろうとみんな違う身体
みんな違う考え方をするのはそこから来てる。
実際の形の違いが脳の働き方に違いを生むのだと。



つぎに“生”の対義語、“死”について考えてみる。

一皮剥けば、ヒトもケモノもどれも似たようなモノ
同じような肉、同じような骨、同じようなハラワタ
開いた腹から立ち昇るのは血と糞尿と、その他なんなのかわからないけどあらゆる“命”を形作っていたモノすべての入り混じった匂いの湯気

このビジュアルや匂いから喚起されるイメージ、それがたぶん“死”の概念。

だけど自分自身の“死”は死なないかぎり絶対に!体感出来ない
ということは
自分自身の“死”という概念は生きてるかぎり絶対に自身の体感として認識することはできない浮遊したイメージでしかない
といえる。
「地に足の着いた血の通った知」では認識出来ない概念であると。


わからないから怖れる
見たくないから蓋をして
無いことにして置きたい

体感としての“性”で捉えることの出来ない“死”という概念を喚起させるモノを遠ざけたいという心理がタブーを生む?

“臭いものには蓋” 的な
死=臭い



もう一つのタブー
“性”の字が持つもう一つの側面、エロについて

エロスの対義語はタナトス
エロスとは萌え上がる“生”エネルギー
タナトスとは否応なく背中を押される“死”への一本道

死はタブーで生までもタブー
まぁ、生も臭いからね

なんのこっちゃいだけど
ここで陰陽という概念を引っ張り出して考えてみるとスッキリする

陰は陽に陽に陰に、それぞれ極まりに置いて転化するのが『道tao』で語られるエネルギーの変化の法則

生の極まりが死であり
死の極まりが生


タブー視されているのは生死そのものではなく“極まり”?

あ!
だから極道はタブーなんだ

“極まり”=タブー

極まりとは正反対の性質へとひっくり返るトコロ…

変化を嫌う

これが“心”の本質なのかも!

一方で“性”はリアルな身体感覚に応じてコロコロと形を変える
一見すると不確かなモノ
だから頼りにならない
と“心”は判断するのかも
リアルな世界は常に変化し続けて留まることなんてないのに。

そこんところ
“性”と“心”の喧嘩
これがコリになって身体を縛るんだろうな
ふと。



・後書き的な…

観察者がいなければ世界は存在しない
世界はすべて幻なんだというこの世界観

あぁ量子論ね
っていうくらい認知された感のある世界観

そういう前提でみれば世界は自分しだい
という非常に面白い価値観

…なんだけど
何か引っかかる違和感…
その正体がわかった

それは浮遊感

地に足が着いていない感覚
身体感覚で捉えがたいんだよね

それぞれの人が見ている世界は
それぞれの意識のフィルターを通したモノしか見えない
見えないモノ=存在しない

理論としてはわかるけど…

しかし世界は厳然として在るモノなんだと
“性”の部分で感じていることを
感じた今朝

狩猟解体のプロフェッショナルと
昨晩の対談での違和感を振り返るなか

ふと。

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感覚に蓋をしても
いつか溢れ出す
否応なく押し寄せてくるモノ

それは突然襲ってくるぎっくり腰のような

厳然とあって常に関わらざるを得ない
関わらなければ関わらないほど
蓋をすれば蓋をするほどに

ドカンっと関係性を迫ってくるモノ

それが自然
自分の身体も含めた
自分の意識の世界の向こう側

あちらとこちら

どちらもあって一つ

『一陰一陽これを道という』:老子






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by kei-grande | 2017-05-22 19:40 | Outros その他 | Comments(0)



音楽ナメてんじゃねぇよ!

真剣に音楽がやりたいんか、ただ目立ちたいだけなんか
どっちなんかハッキリしろ!

とある機会にド叱ってくれたのがデヴァさんでした。


音楽ってショージキよくわからんのです

わからないなりに適当に叩いて
なんとなくで
太鼓触り始めて17年目のことでした

音楽やってるって感覚はあんまりなかったのです
ただ太鼓を叩いてる
それだけ

でもデヴァさんの雷が落ちて以来

アレ?
音楽ってどういうこと?
音楽のなんたるかがわからないままただなんとなく叩いてる俺でも
音楽として太鼓を捉えれるようになるの?
捉えてもいいの?


みたいな…
なんというか
新鮮な気持ちに


そんな転換点からまだ一年経ってませんが
なんか意識が変わって以来
すごく自分自身の出す音が変わった自覚有ります

そうこうするうち様々な繋がりのなかで
楽器提供という形でデヴァさんのWSとコラボさせて貰えることとなり
第一回、第二回を終え


今までにほとんど知ることのなかったジャマイカのリズム

ハートビート


その構造のなんとなくの概要とその音が心身に及ぼす影響を感じるにつれ

逆に今まであまり意識することのなかった
ブラジルのリズムの持つ構造とその音が心身に及ぼす影響というのを
感じれるようになった感と同時に
血のなかに在る和のリズムや
様々に枝分かれして来た人類という種の根っこから来るリズムみたいなものも
ボンヤリとながら感じるこの頃

習い
身体に慣らしてきたけれども
ホントのところ
しっかりと音を感じてなかったなぁ

という発見!

自分にとって馴れていることほど
無意識になりがち
無神経になりがち

馴れないことをすることによって
比較が出来る

対象があって始めて無意識的に習慣化されたことが意識化出来るんだ
という気づきのなかから

音楽とは
音が心身に及ぼす力を理解したうえで
意識的にその音の効力を発揮させること

…なんじゃないかな

みたいなことを
学んだというか
気づかせて貰ったというか
予感させてくれた

濃いぃ〜WSでした!

だからといって急に凄く叩けるようになった
というわけじゃないけれど

少なくともこれが“音楽”というヤツの一つの入り口なんじゃないかという予感だけは
確信的に有るのです。



いわゆる“学校教育”のなかでの音楽の成績はだいたい1か2でした

そもそも音符が読めない
文字を覚えたばかりの子供が
その一文字一文字を指で押さえながらたどたどしく読む程度にしか

五線譜の5本の線のどこに音符が有るのか
パッと見で掴めない

音符のあらわす音の長さの概念はかろうじて
だけどそれがゴチャゴチャと続いてるともうわかんない


そんなちょっとした劣等感というのが有ったのだけれど

第二回目のとき
デヴァさんが自身の覚えとして用意して来た手書きのテキストに

“ド”
とか
“ドッ”
とか

音とリズムのニュアンスをカタカナ表記してるのを目にし

あ!

この人も同じかも…

凄く頭の回転が速くキレる人では決してなく

ただ
音楽ってなんなのか
ずーっと愚直に探し続けて来た人

ただただ続けて来た人

そして
人の意識を変容させる力が音には有ると気づき
そしてその音の力を操れるようになった人

そういう人なんだ、きっと!

と直観。

五線譜が読めない俺でも
そういう音の力を操れるようになれる
そういう可能性を夢想しても良いのかも

と思わせてくれる

そんな存在がデヴァさんで
デヴァさんのWSでした。

近日5/21
デヴァさんの還暦祝いの翌日
第三回目開催です♪


“ハートビート”

それは心音
鼓動

人が母の胎内に命宿り
最初に意識が捉える感覚
それが心音なんじゃないかと
ふと

心臓が出来上がったとき
意識が芽生えるとき

個の誕生の原点

太鼓の音ってそういうことなのかも

原点回帰

グラウンディング


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by kei-grande | 2017-05-17 01:02 | Outros その他 | Comments(0)

シンプルな無駄

シンプル

削ぎ落としていく感じ

際限のない人の業を


何かを取り入れる付け足すは案外容易い

削いで削いでなお残る
素材と素材と、そして人の手との出会いが生み出すナニカ

そんなトコロを見つけたい

人と獣とを分かつ境界は、
自然物を加工するかしないか

加工とは自然物の持つある側面を抽出すること

なるほど人の役割とは抽出することなんだな〜

“人は臨場感空間・情報場に生きていて
抽象度を上げることで別々な情報に相位性を見ることが出来る
“悟り”とは全ての事象を“空”まで抽象度をあげて捉えることです!”
:苫米地英人

抽出って抽象度を上げることと同じじゃね?

じゃ、そもそも人とは悟りに向かって行く存在なわけね

とか

一人丸太を削りながらどうでもいいことを頭のなかで
考え続け…

…ていられるのは
シンプルな単純作業だから


単純作業が機械化自動化すればするほど
人は思索の時間を失うんだなぁ

とか

売れる宛てもなく
衝動的な欲求に駆られての
途方もない無駄な時間を通して

また思う。
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雨の日も




晴れの日も

釘で打ちつけただけのシンプルな張りで音が出る
ってのは

じつは技術が必要だったりして

シンプルなものほど
そこには深い工夫のしどころが潜んでる

と、また
シンプルな無駄を通して

思う。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1674556616180416&id=100008782806069



ついでにここ最近のシンプルなモノ
まとめて一気にいっちゃいます

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なんか見切った!
と思って作ったけど
なにせ相手は天然
狙ったようには
思うようには
そうはそうは行きまへん。





それでもなお工夫を凝らしたらしたなりに
得るところのあった一枚。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1675921759377235&id=100008782806069

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クオリティーとか
そんな細かいことは一切関係なく
ただ勢いで。



https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1675538462748898&id=100008782806069


無駄に無駄を重ねるのも人
無駄を削いで行くのも人

でも
どっちも無駄は無駄
無駄を無駄と知りつつ無駄を為す

そもそも人が作り出すモノで無駄じゃないモノなんてあるんかいな?

とはただの独り言。


それぞれに良いご縁が有りますように。(^_^)













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by kei-grande | 2017-04-19 20:36 | Outros その他 | Comments(0)

10年前の“私”
昨日の“私”
今日の“私”
今ここの“私”

同じようでいて
変化し続けている“私”…

『生き抜く力とは適応力、環境に合わせ変化出来る柔軟性だ』
:Mestre Tocano preto

生きるとは変化すること

日々刻々と移ろう環境の変化に
自らも刻々と変化を
日毎に刻々と
気分(気の分配・エネルギーバランス)に応じて
変化し続ける柔軟な生命であろうとすれば…


作り始めた太鼓も
当初の想定とは違う形になることもしばしば

…いや
ほとんど。

だいたい作りながら完成形イメージが変わって行くの。

たぶんその方が良いと思ってる
血の通ったモノ
命の宿ったモノが生まれると

そういう在り方であった方が
思って。


にしても今回のはコレまた
だいぶ変わりました。

最初はジェンベ作ろうと
ちっこい
カワイイ感じの

ところがここのところ急激にketteスタイルが大ブーム!
(俺のなかだけだけど)


こうなりました。

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ちっこいけど

コロンと
ツルんと
カワイイけど

ごっつい系

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皮の処理はややワイルド系

でも
ナニヨリカニヨリ
この音がハンパない

ちょっとしたタッチの差
ちょっとした叩く場所の違いで
何種類もの違う音が出てくる

まだコントロールして叩き分けるというほどの技術は持ち合わせていないけど
触り方の変化で変わる音の違いが面白くて面白くて

さらには
サイズに比例しないハンパない力強さ!




https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1636821593287252&id=100008782806069



なんでこんなにヤヴァいのが出来たのか?
いろんな要因はあると思うけど…


材、虫喰い穴の空いたヒノキ丸太
その内壁のランダムな虫喰い具合
気分で整えたコブレット型の外型

使ったシカ皮の部位、厚みや伸び具合

ketteスタイルのごっつい金具で
パッキンパッキンのカッキンカッキン
に張り込んだ

…いろんな要因がうまくマッチした。
たまたま。

そういう様々な要因に作用したのは
時々の気分なわけで。

そうなるとそれは偶然のようでいて必然?




なんにせよ



かなーーーーり遊べる
おっもしろい!太鼓

出来ました♪


良いご縁がありますように( ^ω^ )

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ketteスタイルブーム
まだまだ続きます…




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by kei-grande | 2017-01-21 01:53 | Outros その他 | Comments(0)

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kette drum

ケテ ドラム

ビンギドラムとも。

詳しくはこちら↓↓↓





極太の孟宗竹に極厚の猛々しい鹿皮を張った
Japanese style!

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初めてこういう極太の孟宗竹を見たとき、
あ〜、こんだけ太ければ、もうこれだけでケテになるじゃん。
って思った。

実際、日本のケテドラム製作の第一人者。
Trench drumsの大ちゃんにも、
孟宗竹で作ってみたらいいじゃん♪
みたいな話したんだけど…

なんかいろいろ忙しいみたいで

なんで、畑違いかとも思って遠慮してた部分あったけど
気持ち抑えきれず
やっちまいました!

っていうか、
みんなやったらいい。

竹なんて腐るほど余ってるんだから
鹿の皮だって捨ててるんだから

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見ての通り打面の割にこれでもかとゴツい金具で
厚めの皮を相当テンション掛けて締め上げてます。


音楽ってなんなんだろう?
ってふと考えるとき、
正確には感じるとき、

結局は身体の緊張を高めて行くか
緩めて行くかののどっちかの作用を
あるいは高めたり緩めたりの波
なんだと感じる。
どっちも最終的には緩むが終着点の気がするんだけど。

このケテ
ビンギドラムを生んだ歴史に意識を向ければ、
奴隷制という人類の暗い闇が背後に見える。

人が人を肌の色で差別し
取り替え可能な労働力として
消耗品として扱った

そういう人類の歴史のダークサイドが。

そういう意味では
アタバキとまったく一緒なんだよね。


そう、
奴隷という人の尊厳を無視した極限の環境に置いて
音楽が
太鼓が果たした役割とは?

それは身体を
過酷な環境に置いて
身も心もカチカチに固まった
防御反応から固まらざるを得ない
その凝り固まった身体
その緊張を緩めて一息つく

そういう時間が必要だった。
生きるためには。

音楽で身体を緩めなければ生きていられなかった。

そういう背景
なんだと
直感する。


で、
緊張がすんごく高い時、
ユル〜い波長に身体は同期出来ないのを感じる時がある。

そういう時は高い
カンカンに
キンキンに
テンションの高い波長の方が同期し易い。

それから
ベースに流れる低いユルい波長にも同期出来たり

また高く高く上り詰めて
最後に弛緩
みたいな。

この小さな打面に
これだけ締め込んだ太鼓の音に

そんなアフロジャマイカの現在進行形の身体の緊張の高さを伺いみたり
またこの音に心地良さを感じる自分自身の緊張の高さに気づいたり

なんかそんな勝手な妄想を
胴が孟宗なだけに。



にしても思ったのは

ケテって割とマイナーな太鼓
アタバキに並ぶマイナーな太鼓だと
思ってたけど

アタバキよりよっぽどメジャーじゃん!
アタバキよりも知名度高い!

ということに気づいたの。



…というわけで、

このタケケテ

これからもっと作り込んで行こうかな

アタバキよりも需要有りそうという
捕らぬタヌキの皮算用を…






https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1626639950972083&id=100008782806069





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by kei-grande | 2016-12-28 22:53 | Outros その他 | Comments(0)