カテゴリ:Outros その他( 97 )

たまご



リンガ

…だと思ってたけど
最近どうも…

卵じゃないかと

太鼓の叩き手
ことにアタバキの叩き手は男が担うという文化的背景から考えると…
その方がしっくり来る


命の原形

太鼓が豊穣に繋がるのはそういうことだ


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by kei-grande | 2017-09-25 18:50 | Outros その他 | Comments(0)

輪・ワ・和

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何個も、なんこも、ナンコモ、輪っかを造ってて思う

どこをどう叩けば純円に近ずいていくのか

そのバランスの見極めは
整体によく似ている
というか同じ感覚

違うことしてるけど
同じことをしてる

綺麗な丸はバランスが良い
バランス
身体もバランス

◯は調和の象徴なんだな

調和とはバランス

No balanço do mar ioiô
No balanço do mar iaia
No balanço do mar ieie
No balanço do mar

バランスとは揺らぎ

波だ。



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by kei-grande | 2017-09-21 17:43 | Outros その他 | Comments(0)



“故郷は遠きにありて思うモノ
そして哀しく唄うモノ
よしやうらぶれて異土の乞食(カタイ)となるとても
帰るところにあるまじや”
:室生犀星

昔っからなーんかこの詩の情景が好きで
なかでも“カタイ”という響きがグッと来るのです

投げ銭で生きる
自分の価値というモノの決定権を手放して
お天道様にお任せする
という姿勢には神聖さと同時に世俗の底へ底へと降り立つような
ま逆のベクトルが二つ同時に存在するかのような
不思議な感覚

この何年か少しずつ少しずつ
WSはじめ太鼓の販売や演奏に整体、ときにはただのお喋りだったり
あらゆるモノコトを投げ銭という古くて新しい方法で売るというコトを
少しづつ少しづつ試しながら拡大してきました
憧れのカタイへと一歩一歩…

投げ銭、儲かるか?と言われると
とても大金持ちにはなれそうもなく

かといってボラれるというと
そうでもなく…
ぼちぼちといったとこです

自分の胸のうちでの想像を上回る価値を付けてくれる人も居れば
払うに足らないと判断されることもなくはなく

とはいえ総じてボチボチでんな

この投げ銭システム
何が良いかって

楽!

これだけ稼ぎたいからこれだけ働かなきゃ
とか
この値段で売るならそれ相応にやらなきゃ
とか
自分で自分の価値は落としたくもないし
上げるのもどこをどう上げれば良いのやら…
あーでもないこーでもない…

そういうのちょっとずつちょっとずつ試し試し手放し始めたら…

あれ?
なんかちょー楽じゃん!

同じモノあるいはサービスを
人が違えば違う値で買って行く
それぞれがそれぞれに自身で決めた対価を払うとき
買った側に損得はなく満足だけが有る

これ売る側にとって、ちょー楽!

高かったかな
安かったかな
と思い悩む必要がない

そのときそのとき
向き合ったその人とただ対峙するだけ
無心になってその瞬間に集中できる

特に整体
これは絶対にして侵すべからざる聖域だった
俺はこれで喰ってるんだからという思いから

ここを崩すのは思い切りが必要だったけど
いざやってみれば少額高額いろいろだけど総じてボチボチ
何より楽なのが良い

やるコトはいつも本気
100パーで向き合うそれだけ
氣楽に

価値とは関係性に置いていくらでも変化するモノで
決まった絶対の価値なんて存在しないってことを否応なく思い知らせてくれる

自分とはなんなのか
ワタシとは
ワタシの価値とは…

そんなモノは無い

ワタシとは関係性のなか変動するモノ
そういう感覚が「梵我一如」なんだなぁきっと

銭金の勘定を置いとけば
自分が幾らとかどうでも良くなる

でもそんなんでやってけれるの?
と問われれば

まぁボチボチでんなぁ
なんとか生かさせていただいております

とそんな感じ

生かさせていただいている

ワタシという存在はワタシ以外のすべてとの関係性に置いて生かされてる
そういうモノなんだという実感

これが「縁起」だね

定価を付けるそれはある意味
それを決定した時点で関係性の幅を決定するといえる

そういうのを少しでも外してみると…
今まで見えなかった世界が目の前の開けてくる

モノには値段がついているのが当たり前の社会で生きてると見えなかった世界が
そこには見えてくる

投げ銭、面白いよ(^_^)

みんながみんな投げ銭で自分の仕事=遊びの一部でも売るようになったら
世の中もっと生きやすくなるんじゃないかなぁ
お氣楽な世が来るんじゃないかなぁ
とか思ったりするこの頃…


“ふるさとは遠きにありて想うモノ
カタイ暮らしも忙しく
やりたいコトが次から次へと
帰る暇などありゃしない”
:愚


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by kei-grande | 2017-09-07 21:10 | Outros その他 | Comments(0)

祭りの夏を走り抜けて

8月あたまからこの方
よう走り回りました






































いろいろあり過ぎて頭ん中しっちゃかめっちゃか
その混沌のなか見えて来たのは

“土着”

なにが良くてなにが悪い
なにが正しくてなにが間違ってる
いくら頭で考えても答えの出ることはないこの問いも

様々な地域
様々な風土
様々な慣習
様々なジャンル
様々な人ひとヒト

世界は様々に違えど
土まで降りてくればみな共通の場に立てる

なにが正しくて
なにが間違ってるいるのか
なにが良くて
なにが悪いのか

同じ土に足を着けて
お天気の話から
畑の話でもすれば
その人がどんな考えをベースに持っているのか
だいたい分かる

それが良い悪いは置いといて

ベースまで降りて行けば
誰でも同じ音のウネリに共に乗れるんだから
上手いも下手もなく

同じ土の上に共に立てれば良いも悪いもなく
認め合うか合わないか
それだけの話

そんなことを
いろいろあり過ぎたいろいろのなか
ざっくりまとめるとそんな感じを

作りたい太鼓の新しい方向性が見えて来た!
やりたいコト様々を繋ぐ一筋が見えて来た!

そんな夏の太鼓日和
でした…(^_^)


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by kei-grande | 2017-09-06 16:50 | Outros その他 | Comments(0)

太鼓は育つ

太鼓は育つ

音が育つ

皮張りました
で完成!
なわけでは…
じつはなかったりする

一見
っていうか一聴
鳴らない太鼓

鳴らない
思い込んでた太鼓

なんか触ってるうちに
だんだん だんだんと
鳴るようになってくる

不思議なもんで

なんで鳴るようになるかは置いといて
明らかにそういう現実が有る

お前、どういう音が出せるの?
と問いかけるように叩く
というより触る
これを続けていると
ある時 ふっと思いもよらない響きが生まれ出る
そういう瞬間がある


思いもよらない響きを引っ張りだす

太鼓から音を引き出す
そういう意識で触ってると

だんだん だんだん
太鼓全体が鳴り出す

そうするとね
俺以外の人が叩いてもその響きは再現されるの

不思議


音を引っ張り出す

そういう感覚が最近面白いここ最近の太鼓日和





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by kei-grande | 2017-09-06 16:21 | Outros その他 | Comments(0)

8月のアレコレ

8/5・6




九州一円を代表する南米音楽の祭典!

新作取り揃えた楽器販売と
“シンプルな素材でシンプルな楽器作り”
“リズムあそび”
ここ最近かたちになりつつある
ここんとこのスタイルで出店しつつ
ひさびさのカポエイラを前に
血が騒ぐのです( ^ω^ )


8/17
『八祭』




徹夜踊りで知られる郡上八幡
郡上踊り
なんとこの祭り
四日間ぶっとおしの徹夜で踊るというだけでも驚きの祭りなんですが
夏の間ずーーーーっと
ほぼ毎日徹夜踊り以外の日もやってるっていうブッとんだ祭りなのです!

そしてこの夏唯一の公休日
徹夜明けの17日!

この伝統の祭りに新しい風を吹かす
新しい祭りが開催されます♪

伝統の上に形作られ守り継がれて来たスタイル
伝統を下敷きに生まれ出た新たなスタイル
とが出逢うときに生まれる新しいナニカ

それはいったいなんだろう?
きっと面白いことが起きるに違いない


そういう感じで盛り上がって生まれた祭です


いわゆる伝統とは違う形ながらも
やっぱり根っこの部分で民謡の血筋を受け継いで現代に生きる音楽
型としての伝統文化
民謡の
確率された一つのスタイル

とのコラボレーション

さらには…

伝統が伝統として守り継がれ受け継がれて行くなか
時代の変遷と共に
蓋をされ
表舞台から姿を消す
そんな伝承の断絶や改編
ということは
どんなことに置いてもよく有る話で

この祭の隠れたもう一つの目玉が
「むかし踊り」の一夜限りの復活!
現代に置いては歌詞が卑猥過ぎて放送禁止用語満載の

そんな今は封印されてしまったかつての生々しい民踊歌

聴けるらしいですよ♪
めちゃ楽しみ( ^ω^ )

土地と共に人から人へ受け継がれて来た音楽は
その土地と人とを繋ぎ合わせる
すなわち
グラウンディング
地に足が着く
そういう力を持っている
音楽ってそういうこと
なんだと
思ってたりする


そして
8/19は三国山



djembe
じゃんべ
へと
この土地に土着させた偉大な先人
内山伸治さんの遺品の一部を
音の鳴る状態にまで仕上げちゃおう♪
という企画

午前10時くらいから日が暮れるまで
もしくは暮れた後も
のんびりゆっくりおしゃべりしたり
内山さんの奥さんの振る舞いをいただきながら
呑める人は呑みながら

作ろうかと

音あそびもね


そんな感じの8月に突入!
気持ちがまだ追っ付いてないけど




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by kei-grande | 2017-08-02 22:23 | Outros その他 | Comments(0)

ミチミチのトモガラ

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中世の日本
士農工商といったザックリとした身分制では捉えきれない
多様な暮らしの姿があったことを掘り起こした歴史学者 網野善彦
網野史観から生み出された小説家 隆慶一郎の作品の世界観に憧れた

そこに登場するのは
「カミナシ・上無し」を標榜し
権力の庇護の下につくことを良しとしない自由な民衆の姿
職能民に芸能民、武芸者や山の民、川の民、海の民…

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それぞれのフィールドが違えど身も心もひとところに縛られることを嫌い
己の持つ才覚で天下を泳ぎ渡る彼らはまた
「道々の徒・ミチミチのトモガラ」とも呼称した

自分の先行きに息苦しさしか感じれなかった時代に
希望の光となったこの世界観
何を持って俺は生きる?
っていうところを考え出したきっかけ

そんなふうに自由に生きたくて生きたくて生きたくて…

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あれ?

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やっぱり?


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昔の話ってだけじゃないじゃないよね
これって現在進行形である人の営みそのものじゃん


っていうのをヒシヒシと感じるこの頃

「みちみちのともがら」はそこかしこに居る

そんなふうに思います。



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2017年も半分以上過ぎての雑感まとめ

自由になりたい
自由でいたい

ひたすらそれに尽きるなぁ

太鼓
音楽
カポエイラ

整体

全部そこに集約される





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by kei-grande | 2017-07-24 22:05 | Outros その他 | Comments(0)

「アート」って…なに?

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先日
「アート」な香り高い場所へ

https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=1689585791344165&id=100008782806069

人前で対談をするという初めての機会を頂きました

「職人」という言葉も
太鼓作りに置いてはまだいまいち自分のなかでしっくりとは来ていない感じなんですが

果たして自分は職人といえるほどの突出した技をもっているのか?
という疑問
同時に
じゃ、まだ見習い程度か?
というと
それもまた違う
この拙さを持って自分の価値を問おうという肚は座ってる


じゃ、「作家」?
「職人」とは何が違うの?

または「アーティスト」?

「アート」ってなに?

アートという言葉が「藝術」と翻訳されたのは確か明治に入ってからのこと
わりと新しい言葉

じゃぁ、まず「藝」ってなに?

芸能・武芸・芸事…

どうも、この「芸・藝」という字は
喰ってくためには一見有っても無くてもどちらでも良いこと
直接的生産に関与しない
ハレ・とケで云えばハレ事に関わる技
音楽、舞踊、など祝祭を彩る技術
そんなニュアンス

「術」とは
広く暮らしのスベ
それぞれの暮らしの営み全般に置ける身体運動をより楽に
より構造の理にかなった身使いへと
工夫に工夫を重ねた歳月の分だけ深みを増し続ける
言ってみれば
筋力など加齢と共に必ず衰えるモノから来る力に頼らない
“力の性質の転換の技”(これを中国では功夫という)の道筋こと
と仮定する

それは生まれ持った才能じゃない
若き天才はいても
名人、達人と言われる人は必ず老人であるという事実

技の上限を限定しないで工夫をし続けることでどこまでも進化・深化し続ける道筋
それがたぶん「術」という言葉に含まれた意味

ということは「藝・芸」も「術」も同じことと言っていい
「術」の方が概念としてはより広く、その中に「藝」の概念が包摂されてる

ということは
「術」はハレもケも含み
「藝」はハレ事オンリー

「藝術」という言葉は

藝+術=藝(ハレ)+術(ハレ・ケ)=2ハレ+ケ

で、ハレの要素が強く印象づけられている
そんな勝手な推測…

だから

日々喰うのにカツカツの俺たちには藝術ってよく分からんし
なんか難しいんでしょ
お高いの?

みたいな
雲の上の話みたいな印象なのかも

昔なんかの雑誌で読んだ
スペイン語では日本語的な感覚でのゲージュツ家といわゆる職人どちらもアルチザン(アーティスト)と呼ぶって

ポルトガル語でもやっぱり
Artesão

日本語にすると響きが違うけど
要は同じってことですね

さらにアートの始原を
語源を音からたどれば
それは古代インドの思想哲学にある
“アートマン”に辿り着くんじゃないかと

まったく根拠はないけどね

ブラフマン・梵
アートマン・我


ブラフマンは宇宙の原理原則
アートマンは自己存在の中心

梵と我
部分と全体は等価である
とする考え方を
『梵我一如』
という

陰陽太極とよく似てる
っていうか
同じコトを違う切り取り方で捉えてるだけ
文化的違いだね




どうしようもなくそれがしたい
という身の内からの衝動
自己存在の中心からの欲求

それがハレであれケであれ
日常茶判事であれ祝祭事であれ

アートマンの働きと共に在ること
それがアートだ!


どうしようもなく太鼓が作りたい
どうしようもなく身体を整えたい
どうしようもなく土に触りたい
どうしようもなく裸足になりたい

これはアートマンの働きだ

どうしようもなく富士山麓の現状をなんとかしたい
どうしようもなくケモノを捕らえたい
どうしようもなくホネが好き
どうしようもなく解体が好き
どうしようもなくダニが好き
どうしようもなく“神の一杯”の珈琲が淹れたい

全部アートだ

どうしようもなく絵が描きたいことや
どうしようもなく音楽が創りたいことや
と同じアートだ

やりたいことをやる
それがアートマンひいては等価であるところのブラフマン
世界の根本原理に従うこと…

そういう話?






…先日のお話会のなか、鹿をテーマに扱った豆さんの作品に込めたメッセージに対し

「アートの本筋から離れてる!それはアートのすべきことではないのでは?」

みたいな
参加して下さったある方からの発言を受けて…

俺なりにモヤモヤしてた「アート」と「職人」について
考えてみたこと。

ちなみに今、太鼓関しては
年季奉公が明けて独り立ちして数年くらいの
“脱新米中の職人”
みたいな感覚がしっくり来る






『ボディワーカーもミュージシャンと同じアーティストだと思ってるよ
技術を持つ人はみんなアーティストだって』
:Deva


『アートじゃ喰えん って意味わからんし』
:白砂勝敏



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by kei-grande | 2017-06-05 19:49 | Outros その他 | Comments(0)


人から学ぶことが苦手でした

言われたことを言われたようにただやる
これが出来ない

なぜ出来ない?
と言われても
身体が動いてくれない

そんな
損な
性格で

自分の身体が動きやすいやり方で
それが出来るようになればいいんでしょ?

とか思って
すぐ自分流にアレンジし
自分勝手に好き放題やって
人とうまく歩調を合わすことが出来ずに衝突することもしばしば
だから『愚乱児』という名前がついたりする…

メンドくさい生徒でした。


ここのところ
デヴァさんのケテWSを楽器提供という形で加わらせて貰ってて
ふと





誰よりも早く到着して楽器を降ろし
人を集めて参加者を募り
WSが始まれば
じっとデヴァさんの音を聴き
デヴァさんが主役場の空気感に
如何に違和感なく参加するか
参加してくれた人が
楽しいかった
また来たい
と思える環境を作るには
自分はどう振る舞ったらいいのか
自分の役割を探る

『音楽を一から勉強し直せ!』
(一も二もなく、あんまり深く考えたことすらなかったんだけど)
と一喝してくれたデヴァさんの捉えてる音楽観とは一体どんな世界観なのか
今にも跳び出しそうな“我”をじっと抑えて
目前に拡がっている音の世界をじっと観察する

WSが終われば大量の太鼓をパズルのピースを埋めるように車に積み込みながら
その日のWSの成功を嬉しく思う

…なんかこの感覚って…『弟子』的感覚?


学ぶとは
とにかく観察することなのかも

よく観て
察すること

出来る出来ないよりもまず
観察すること

ただそれだけなのかも


ただ観察する
ただその世界観を観る

そうすることで跳び出しそうな“我”が発見できる

それがオリジナルな自分
それが自分の世界観

それは他者が有って初めて認識できるコト
自分だけ見てても自分のことはわからない

他人が観えて自分が観える
自分を知るには他人を知らなければ

自分に出来ること自分がしたいことは
人を観察することで観えてくる

観察の対象として観れば
人はみんなお師匠さん

…みたいなことが40にしてようやく腑に落ち始めたこの頃です。


“講義の始まる時間に来て終われば帰るのが、生徒。
講義の準備から片付けまでまたそれ以外でも師と共に過ごすのが、弟子。”

:Mestre Rene (たしか…)



ご縁に感謝(^_^)


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by kei-grande | 2017-06-01 21:45 | Outros その他 | Comments(0)

自分というモノを知るには
自分とはぜんぜん違う人が必要なようで…

ぜんぜん違うのに
どこか相通づるモノを感じさせてくれる人

そういう人と出逢えたらサイコーですね


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《sumikov》

“暮らしのすみっこにある幸せ”
をコンセプトとして様々なオリジナル楽器を作られています。

パンデイロ繋がり(➕鹿皮繋がり)でいただいたご縁。

お互いの作風はまったく正反対ながら
根差すところは同じところに在ったりして
話をするたび新しい発想を気づかせてくれる
言って見れば“同士”のような…そんな仲。




楽器とは
表現者の発想しだいで無限の可能性を持つモノ

ほかにはないオリジナルの楽器には
すでに確立された奏法など存在しない

だからこそ誰もがまったくのオリジナルで
真っ白な状態で向き合うことができる

音楽の始まりの地点
創造の始まりの地点
想像の始まりの地点

誰もが“始まり”の地点に降り立つことができる


“暮らしのすみっこにある幸せ”

なにかを創り出すこと
まったく新しいなにかを
自分自身の手で創り出したいという身のうちから湧き出る欲求
それを満たしていくことに
人は幸せを感じる生き物なんじゃないかなぁ〜

たとえ手の平にのるくらいの小さな創造
でも
人類の暮らしを一変するくらいの大きな創造
同じだけの幸せを得ることが出来る生き物なんじゃない?

人間ってやつは…

みたいな想いが込められている
とか思ったりします。






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試奏してみて欲しいと贈っていただき…


“始まりの地点に降り立ちたいのは俺
すみっこの幸せを作りたい彼


幸せとは日々想像すること
新しいナニカを創造すること
と仮定すれば

幸せ=創造の開始

そこに大小による優劣という比較概念は用を為さない”


…みたいな思想を巡らせてみたのだった(^_^)












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by kei-grande | 2017-05-24 20:06 | Outros その他 | Comments(0)