2014年 04月 29日
模倣を越えて
今まで何百個開けたことか、パンデイロのジングル窓。ドリルで抜いた穴と穴の間を鋸で切り抜きナイフで整える。
力が要って手の痛くなる作業、あまり気の乗らない工程だ。
刃先の切れ味が作業性を大きく左右することはもちろんだが…
「 痛みを感じる動きは無理な動き。
合理的な動きは痛くならない。
痛み無く快適な動きを探して下さい。
それが理にかなった身使いの獲得に繋がります。 」
いつも患者さんに話すことを、あらためて自分自身に適用。
枠とナイフの刃先と自分自身、三者の関係性を見つめ直し一工夫することで今までにない快適さを発見!痛みなく、なおかつ良く切れる!!
ルーアを、クラウジオを、ジーニョを、その他多くの名を知らぬ職人達の作品の模倣を繰り返し試行錯誤するなか、私の手は、私の身体は、しだいしだいにより自由に太鼓を作り出すよう日々最適化され更新されて行く…。
そんな些細な実感こそが私にとっての生きる喜び。
『人間は考える葦である。』と云うが、“感じる”の方がしっくりくる。
「昔から腰痛持ちで…、両親も共に腰痛持ち。これって遺伝ですか?」
これ、最近受けた相談。
それはズバリ、無意識下での両親の身使いの模倣の結果に他ならないと断言する。
オギャーと生まれた赤ん坊は模倣によって人となるが、模倣を越えてこそ人は初めて誰でもない自分自身を発見する!!!
太鼓作り、しかり。
カポエイラもまたしかり。
すべてしかり。
模倣の輪廻を脱け出すカギは自らの“感覚”を羅針盤に試行錯誤、ひとり漕ぎ出すことに在る!
…なんてことをね、ふと想い着いた。
by kei-grande
| 2014-04-29 00:41
| 作製中