修理のこと

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“アタバキ

と言ってもわかる人の少ないマイナーな太鼓。
有名どころの“コンガ”とルーツを同じくする
樽の片面に皮を張ったブラジルスタイルの、
まぁなんというかかなり自由度の高い太鼓で
大きさも作りも方式も様々。

基本的に家内制手工業の
作り手の顔が透けて見えるような
そんな温もり感が魅力です。

知名度は決して高くないとはいえ
好きな人はそれなりに居りまして、
とはいえやっぱり
マイナーなもんだから
壊れれば治せるところもそうはそうは無く…

今日も修理依頼品が届きます。

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出来上がってから幾人の手を経てここまでやって来たのか、
地球の反対側から
この小さな工房へたどり着くまでの旅路に
想いを馳せます。

仕事ぶりから見えてくる
作った人(達)の、その製作過程の心象。

匂いだね、
なんといっても。
嗅神経のレセプターはダイレクトに脳だからか、
匂いは
ポーンっと飛ばしてくれる。

モノに宿った数々のストーリーへと。


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一目惚れから、見様見真似で作り始めたアタバキ。
師は、手本は、常に太鼓そのもの。

丁寧な仕事に
粗雑な仕事に
独特の工夫に
触った数だけ学びが有る。

自分自身が残すモノも
やがていつの日か、
次の世代の作り手に同じ目線で見られる時
恥ずかしくない仕事を遺したい
と、
肝に銘じて
今日も太鼓日和。

そうして、ストーリーをまた明日へと繋ぐのだ!



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この脚は、
5、6年前に金沢にて出張アタバキ作りWSで作ったモノ。
よく使い込んでくれて、無塗装ながらイイ味出してます。

パリっとシャキッと、新たなストーリーを刻め!



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# by kei-grande | 2016-09-28 22:10 | Reparacao 修理 | Trackback | Comments(0)

ワガママシェイク にて


の続き。
この二ヶ所へ、行こう!
と思い立てたのは、
このお話を貰ってたから。

画家:高木健一氏
個展最終日イベント『ワガママシェイク』に、
音出し賑やかし担当とちょっとした楽器作りWSのご依頼を頂いて。

昭和51年生まれの同い年、
15歳から描き始めて25年。

この不思議な共時性の一致。
俺も15から治療家というイメージを漠然とだけど胸に
人の身体を触り始めて25年。

この25年という月日の流れをリアルに肌の感触として
共感出来てしまう。



“削ぎ落として
削ぎ落として
どこまで落としても
シンプルな線や点になっても
人はそこに人を観れるのか?
その境界を探りたい。
問いたい。”


と語る。

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ヒトが人たる根源を問う。
そんな試みを絵という分野で表現する人。

なんかやっぱり同じ匂いがするのです。
人・山・海を繋ぐ人たちと。

ザックリ云えば、
利を追い掛けるのか、
人とは何なの?
と問うか。
その二つくらいしか人の生きる道は無いんじゃないかと。
表現は様々あれど。

「一陰一陽、これを道という。」
という老子的太極的見方で世界を眺めるなら、
どっちが善でどっちが悪かとかは無いんだけど、
どっちも世界を動かすに欠かすことの出来ない要素だから…
でも、
どちらよりか、
どっちが好みか、
どっちがよりしっくり来るか、
ってのはあって、
どっちかっていうと
同じ感覚だなぁって、
やってることは何であれそう関係ない、
似た匂いを感じるのです。

イイ出逢いでした。
出会ったのはホントはもっと前だったんだけど、
コアに触れた感じ。

“共鳴”だね。

ありがとう。


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また一つ新しい扉を開いた観のある
得難い体験となりました。
有り難う。

濃イィ〜二日間でしたぁ。


人と話をするとき、
いつも胸の片隅にあるのが
Mestre Brasília
の『三つの真実』

Meu verdade
Seu verdade
Verdade de verdade

真実の真実への道は、私の真実とあなたの真実の会話こそが唯一の道だ、
と。

真実の真実など無い。
どこまで行っても在るのはただ、私の真実とあなたの真実しか無い。
というのが、真実の真実だ。

…と思っていた時もありましたが、
どうもそうでは無いかも…、
と思えて来た、
いや、感じて来たこの頃です。(^_^)



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# by kei-grande | 2016-09-20 20:59 | Outros その他 | Trackback | Comments(0)

続・人山海:「我“感じる”ゆえに我在り」

“圧倒的な力の波にもみくちゃに翻弄された後の
ふーっと浮かび上がった時の
あの感覚。
大自然の一部であることを実感する
あの感覚を、
たくさんの人と共有したい。

人間なんて非力でちっぽけな存在であることを
まざまざと実感すると同時に
大きな力のなかで生かされていることを
実感するあの感覚を。”

と語るのは

元プロウィンドサーファー
“佐野文洋氏”

富士宮は芝川の自然のなかでの様々な遊びを提供するNatural Actionを運営。
同時に代を重ねる林業の家元でもあり
そこで出たおが屑を海水濾過に活用し
海では桜エビの養殖も手掛ける。
同日に、またまた人山海を繋ぐ人です。

プロとして世界を転戦するなか
ある時、はたと気づいた。
「海に居ながらにして海に居ない。」
ウィンドサーフィンが楽しくて楽しくて仕方なかった頃
なにが楽しかったって、
海の圧倒的存在感に包まれることが楽しくて仕方なかった。

そんなことに気づいた時、
プロとしてキャリアを重ねることにそれ以上意味を見出せなくなった。

ではどうしよう?
自分は何がしたい?
何が出来る?

と考えた時、
生まれ育った故郷の豊かな山河があるじゃないか!
プロとして技術を磨いて初めて対峙出来るあの海の存在感を、
自然の圧倒的な存在感を、
初めての人でも気軽に安全に楽しみながら感じれる、
そんな場を作ろう!

と。

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ここのところ何度か脚を運んでいるNatural Action。
行くたびいつでも人に溢れ、毎日がお祭り騒ぎ。

-シーズンはいつもこんなんですか?-

-そう、だいたいこんな感じ。
よく身体が持つもんだと思うよ。
なんでそんなに元気なんですか?
って聞かれるけど、なんでだろうね?-

-それはそれこそ自然と繋がる時間が多いからじゃないです?
ただ自然のなかに居るってだけじゃなくて、
自然の一部だー!って実感として感じるときには
やっぱり自然の持つエネルギーとご自身の持つエネルギーとの
交換・循環が有って、
そこで元気が供給されてるんじゃないですかねぇ?-



…そんななかふと降りてきた言葉、

『我“感じる”、ゆえに我在り!』

『我思う、ゆえに我在り。』
とはデカルト。
この言葉の裏に在るのは世界に対する懐疑、
だけどそれを疑っている自分自身が居ることは疑えない…
とかなんとか。

ふと、
“思う”とはね、それを思っている人自身のなかだけで輪が閉じてるんじゃないか?
と感じたわけ。
閉じてるから、そこには世界との断絶があるから、
懐疑が生まれるの。

いろんな人と接するなか、
身体や心に不調を抱えている人に根底で共通しているのは
不安
孤独
自分自身の存在価値に対する懐疑
なんだよね。

それは、
我思うゆえに我在り
の閉じた回路で思考するからなんじゃない?
そこに根が有るんじゃない?

対して、
“感じる”とは、
完全に外と繋がっているよね。
感じている対象と感じている自分自身が
感じることを糸に繋がっている。
閉じてない。
そこに孤独はない。
感覚に従って心地良い方へ向かえば
心は安らか、安心。
感じている世界は疑う余地なく
厳然と存在するしかない。
感じている対象が在るということは
それを感じている自分自身もまた厳然と存在するしかない。


疑う余地がなければそれはきっと自信、
自分自身を信じることへと繋がり、
自身の存在価値を認めることが出来る。

あ〜、なるほど、そういうことなんだ。
感じて繋がってる時、
部分である“我”は全体の一部として完全に一つなんだぁ〜。

って感じたわけ。

フミ(佐野文洋)さんが海で感じ、ラフティングで日々感じ、
たくさんの人と共有したい感覚ってコレ!
この感覚ですよね!

同じ!

世界は社会は
人の数だけ違う世界が在るけれど、
感覚を開けば実は全てが全体の一部であり、
一つなのだ!

とそんなことを、
言葉としてまとまったのは今ここだけど
そんなイメージがバーっと浮かんだわけ。


地産の木材や鹿皮を使って太鼓作る話もまったく同じ。
使うことで繋がる。
それが音になることで、また繋がる。
人と人、
人と環境(自然)、
どんどん繋がったらなんか世界は変わりそう。

“思う”という閉じた回路から
“感じる”という開いた回路への
転換!

これは革命だと云ってもいいんじゃない?





“なにものも傷つけないハッピーな革命さ”
"whtat kind of person to hurt someone's feelings
so happy revolution to excel in every respect."
:かむあそうトライブス



…で今回またなんで芝川へ行ったかというと、
あたり一帯の林業の元締めでもあるフミさん、
前々から富士宮産の竹や檜、鹿皮を使った太鼓作りやWSのことを知って
材としては使えないけど、太鼓としてなら使えそうなモノや、
廃業した製材所に眠る材で使えそうなモノ、
使ってよ!
と取って置いてくれてたモノを見に。
そして持って帰れるモノを引き取りに。
そういう目的での芝川だったのです。

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あるところには宝がゴロゴロ転がってます。
そんなこんなをうまいこと回して行く交換・循環型社会へ。

“思う”から“感じる”へ、シフトチェンジ!

ゆるっと。

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# by kei-grande | 2016-09-20 12:46 | Projeto 企画 | Trackback | Comments(0)

人・山・海:『音土富士』→『音土“不二”』

私たちの肉体は、
口から入り、
腑に落ち、
臓に蓄えられして血肉となった
そのすべては、

大地、森、川、海がもたらす恵みから
成っている。



これを「身土不二」という。

身体と大地二つならず。
切っても切り離せない一つのものであり、
私たちは自然の循環の一部である。

と。



またまた二週続けて静岡。

今度は富士でのWSと演奏の依頼に合わせ、
地の材の活用を進めている人たちに会いに
そして実際に使える材を見つけに行く、
そんな諸々を兼ねての富士詣。


まず立ち寄ったのは三ヶ日。
浜名湖の最奥、猪鼻湖畔に佇む『外山建築』へ。
先週の春野ラブファーマーズで繋がったご縁。

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外山良(とやま ゆきよし)さんは
“継”という字の持つ “つなぐ” という意味に想いを込め、
人と山と海をつなぎたいと語る。


“二代にわたる建築業を営む
普通の建築屋でした。
その材がどこから来た材なのか
どういう風に切り出されたのか
考えたことも有りませんでした。
お客様に安く家を建てて挙げれるならそれに越したことはないと
信じて疑うことは有りませんでした。

けれども、
あるきっかけを境に…
実際に山に生える“樹”から“木材”となる過程を目にしたことを契機に
それまで見えなかった様々なことに意識が向くようになりました。

安く出回る外材、
活用が進まない地産の材。
それは
かつては街道の要衝として栄えた三ヶ日の街の
失われた活気とも密接に関わるのではないかと…”



と、そんな想いから
現在は主に天竜エリアや三河エリアの材の活用を推し進めると共に、
目の前に広がる塩湖、
そして、そこに関わる携わる人、
“人”・“山”・“海”
が密接に関わりを持つことこそ
様々に感じる歪みにより調和をもたらす鍵となるのではないか…

と、そんな熱い熱い想いを
ほぼ初対面にもかかわらず
軽く2時間は話を。

私自身のことも同時に…
ご縁あって富士山麓の獣皮や木材、竹を使い
楽器を作り
また製作体験ワークショップを行い
しているその心は、

森と人との間を繋ぎたい。

我と彼、
人と人はもちろん、
人と自然もまた
繋がりのあるところにエネルギーの循環が起こり
循環の起こるところには自ずと調和が生まれる。

それは環境だけに留まらない社会全体と、
個々の人人人のそれぞれのうちに同時に起こるんではないか…
繋がることで。
そういう明日への祈りとして…

そんな治療家としての想いと
太鼓を通した社会との関わりがじつは同じ軸線上の話なんだ
みたいな話を。

やってることは違っても
見ている先は同じような気がします。
様々な分野に置いて
同じようなヴィジョンを胸に動いている人はたくさんいるんだな
との確信を深めてくれる出会いでした。


そんなこんなで、
三河エリア、天竜エリアの材の活用を、
ホントに微力も微力の話なんですが
進めていこうかなぁ
と思います。

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そうそう…

で!

これまでにやって来た
『音土富士』シリーズ、
もともと富士山麓でのご縁がきっかけとして
富士山麓の竹や間伐材、そして主に鹿皮を使った太鼓作品
また一連のワークショップに冠して来たタイトルでしたが…
もともと本来的に富士山麓に限定する話ではなく、
それぞれの土地に根付いた音が有っても良いよね〜、
というところから産まれたネーミングでした。

ということで、より広くより本来的な意味をイメージしやすいよう。
『音土富士』改め
『音土不二』
として
富士に留まらない環境と人、との調和を図る太鼓シリーズに冠して行こうと思います!

まぁ、小さな小さな話ですが。( ^ω^ )





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# by kei-grande | 2016-09-20 10:01 | Projeto 企画 | Trackback | Comments(0)

“共鳴”

先週末

金曜の富士宮は芝川の夜、

浜松天竜は春野の土日。

たくさんの人との出会い再会を経て

猛烈に触発されるモノあり。

いったい何を触発されたのか
何に触発されたのか
が、いまいち掴めず。

根底には共通するなにかが在るような気がしてならなくて

いったいそれはなんなのか?

捉えようとしても言葉としてとらえるにはあまりに曖昧模糊と
漠然としていて
コレがいったいなんなのか…
この一週間モヤモヤと、
決して心地は悪くないモヤモヤなんだけど。


ふと降りて来たのが

“共鳴”

この二文字。


表現としては様々、
生業の形は様々、
それぞれがそれぞれに全く違う。
だけどその根底に在るのは、

“勝ち負け”
“損得”

といった対立対抗的価値観を降りた
共存共生的視点。

それなんだなぁ

と腑に落ちたのが
昨晩深夜の路上の立ち話。
でした。


お互いのことをほとんど知らず
ほんのわずかな時間の共有しかないにも関わらず
出会った瞬間にバチーッ!
と、合ってしまう。
共鳴してしまうという。
この現象はなんなんだろう?

ってここんとこずーっと思ってた。


この感覚を読み解く鍵は音楽という部分に在るような気もしてた。
その時その場所に共に在るそれぞれが
それぞれに殺し殺されることなく
互いを支え合い
互いを活かし合い
一つの船を漕ぎ進める
そういう感覚を持つ音楽という部分に。

身体が拾い上げる全感覚に耳をすまし
共鳴するポイントを探る…

共鳴の時、
そこに在るのはただただ
気持ちイイ
心地イイ。

そんだけ。


で、それは音楽だけの話に留まらず
それぞれの様々な表現の、
様々な生業と置き換えてもいい、
それぞれの立ち位置に置ける社会との関わりの
その根底に在るのは、
自分自身も含め他者を、
場を時を共有する人を、
喜ばせたい
気持ち良くしたい
心地良くしたい

そんな…
なんだろう?
思想?
哲学?
価値観か。
あるいは単純に気持ち
が、在るのかな。
在ったのかな。

バチッ!
と合う背景に。
合った背景に。



そんな感じ、
ここんとこあったいろいろに思うこと。
また明日明後日との富士詣でを前に一つ整理出来てスッキリ。

有り難うございます。



そんなことに気づいた時、
ホントに些細なことなんだけど、
手が変わった。
これは治療の話ね。
より共鳴しやすい手になったような気がします。


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その後はみんなで音遊びも♪
音遊びだけでの参加大歓迎!
楽器持ってる人は持参でお越し下さい。





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# by kei-grande | 2016-09-09 22:20 | Outros その他 | Trackback | Comments(0)