「ほっ」と。キャンペーン

さて、

竹ケテ

これはクルでしょ…という予感はあったけど
正直ここまでクルとは嬉しい驚き。

2/25・26、WS開催決定と同時に即満員御礼となりましたことに、
ただただ感謝の思いでいっぱいです。




ご縁のはじめは、私自身にとってほとんどはじめてだった“狩猟”という未知の世界と出逢った時、
郡上で開催された『第1回狩猟サミット』主催は猪鹿庁。
ここですでに糸は繋がっていた…その当時は知るよしも有りませんが。
さらには、そこに至るまでの様々なご縁、ホントにどこでどう繋がってきたのか…
ただただ縁とは不思議なものだと。

なんにせよ、
野生動物と人との関わりの不調和になにか他人事ではないことを感じ
同時にそこに関わらせて貰える純粋な楽しさからやってきたなか
なんだかその曖昧模糊としたモチベーションの核心部分へ
同じように他人事としてでなく自分事として取り組む人たちと
様々な機会に話をするなかで
少しずつ少しずつ迫りながら
昨年末あたり掴めそうなところまできつつ
あと一歩という感覚のなか

今回のワークショップを開催するにあたってのその段取りのなかでのやり取りで…
資材を“どこで”、“誰から”買うのか?
という話のなかで、
完全に我ながらスッキリまとまったなと。

今までにやってきた、そしてこれからもやって行くであろう
ワークショップの主旨はじめ、
太鼓を作ることの意味そのものに置いても、
そこに留まらない暮らしの営みすべてに置ける核心の部分についてまとまった感覚があったので、
それを書き残して置きたいと思います。

単純に自分自身がそう感じるというだけの話で
この考え方が絶対に正しいんだというつもりは
もちろんまったくございません。

そういう前提を踏まえた上で
読んでくれる人があればこの上なく幸いです。

WS開催の段取りのなかでやりとりの一部をほぼそのままですので
脈絡がわかりにくい部分有るかと思いますが…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モノを買う、売るとは、そこに掛けた手間の交換。
金銭を介しているけれど基本、物々交換と同じと考えたら…


それは相互扶助の一つの形なんだと。


それぞれの暮らしに置ける需要と供給


それぞれが得意としているコト・モノを
ソレを必要としている人に提供する
供給


自分自身が必要と欲しているコト・モノを
ソレを得意としている人に分けて貰う
需要

金銭というツールを単純にその仲だちだと捉えるなら

買う・売るとは、
暮らしの助け合い。

買ったモノ・売ったモノ
の背後には必ず人がいる
モノ以前に人が有りき

本来の物々交換ならば必ず人の手から人の手へ
そこに人を意識しないで交換することは出来ない

共同体としての人と人の関係性において
例えば、隣人に何かを貰ったら
じゃ、なにをお返ししようかな?と
釣り合いを考える
もしくはより多くのモノを渡したいと考える
なるべくそれより価値のないものをお返ししようとはなかなか思えないのが人

もう少し大きな共同体に置いて
例えば普段の生活圏を共にしない関係性
時折立つ“市”での交換だったとする
そうするとそこに金銭が介するかしないかは別として
なるべく少ない価値で多くの価値を得たいとの心理が働くのも人

その違いは何なのか?
それは関係性の距離感じゃないかな。

例えば“市”での取引でも
馴染みとなり、お互いの暮らしぶりにまで関心が向けば
関係性の距離感が縮まれば
やっぱり買い叩こう・ぼったくろうとは思えなくなるのが人なんじゃないかと。

関係性の距離感が近ければ近いほど、
互いの暮らしを扶助し合う共同体としての認識が高まる。
それは生活圏の遠近には関係しない、関係性の距離感なんだ。

じゃ、もし、自分の暮らしを助けて欲しければ?
生活圏の遠近に関わらず、関係性の距離感を近づければ良い。
どう近づける?
買い叩かない
ぼったくらない
そして、モノの背後に居る人に意識を向けること。

買うも売るも相互扶助。

助けて欲しけりゃ、助けろ。
買い叩けば買い叩くほど、ひるがえってボラれる。

モノの背後には必ず人がいる
関係性の距離感に関わらず絶対に人がいる
そしてその見も知らぬ人にもまた暮らしがある
買い叩けば
ボレば
それは必ず我が身に回り回って帰って来る


モノの背後には人がいる
市場が大きくなればなるほどそれが見えにくくなる
人が見えなくなればモノ・金しか目に入らなくなる
助けてくれるのは人なのに
モノはただのモノなのに

それが現在の歪みの大本
過疎化、里山の荒廃の根本の原因はそこなんだ
それを抑えずしてハンターを増やしたところで問題の根は変わらない

獣皮と竹に託した『音土不二』とは

『身土不二』
:われわれの身体は土地のモノ、口にするもので成り立っている。
それぞれの土地にはそれぞれの土地のエネルギーがあり、
そのエネルギーをいただき我々は生きている。

四季の移ろいに合わせて変わる旬の味覚は、
それぞれの季節に固有のエネルギーを持ち、
それを取り入れることで我々もまたその四季と一つとなる。
土地と人、自然と人は分かち難い共生関係に有る。
というか、良好な共生関係にある時に土地と人は調和する。
土地と人とが調和している時、
その時はもちろん人それ自体とりだしても見ても調和状態にある、
音楽がそうであるように。
つまり健康だね。

そういう昔からの言葉に…
楽器だってそうだよね
その土地の素材で作った太鼓にはそういう調和を作り出す力が必ず宿るよね
というかそういう調和のとれた社会を作ることを目指していこうよ
少なくともそういう旗印にはなるよね。

という想いを込めているのです。

森との調和を目指す人がはたして、
人と人の調和の形“相互扶助”を蔑ろに
買い叩き、ぼったくりするだろうか?
人の調和を蔑ろに、森との調和を図れるだろうか?

そんなことを想うのです。

モノの背後には人がいる

森との調和を願うなら、まずは土地の人に金を回せよ。
それは無関係なようでいて実はとても密接なこと。
地域起こしするのに、その地域に金を回さなきゃ、起きるものも起きない。
関係性の距離を縮めることが、人の調和に繋がる。
人の調和は場にエネルギーの循環の調和もたらす。


長〜〜〜〜い話でしたが、そういう想いで太鼓を作り、人の身体を整えして、人に助けられてなんとか生きております。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私自身の生命観、自然観が万人に共感出来る感覚であるとは思っていませんが、
こういう思いで生きてます、という宣言として。

ご縁に感謝致します。


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# by kei-grande | 2017-02-10 00:23 | Projeto 企画 | Comments(0)

10年前の“私”
昨日の“私”
今日の“私”
今ここの“私”

同じようでいて
変化し続けている“私”…

『生き抜く力とは適応力、環境に合わせ変化出来る柔軟性だ』
:Mestre Tocano preto

生きるとは変化すること

日々刻々と移ろう環境の変化に
自らも刻々と変化を
日毎に刻々と
気分(気の分配・エネルギーバランス)に応じて
変化し続ける柔軟な生命であろうとすれば…


作り始めた太鼓も
当初の想定とは違う形になることもしばしば

…いや
ほとんど。

だいたい作りながら完成形イメージが変わって行くの。

たぶんその方が良いと思ってる
血の通ったモノ
命の宿ったモノが生まれると

そういう在り方であった方が
思って。


にしても今回のはコレまた
だいぶ変わりました。

最初はジェンベ作ろうと
ちっこい
カワイイ感じの

ところがここのところ急激にketteスタイルが大ブーム!
(俺のなかだけだけど)


こうなりました。

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ちっこいけど

コロンと
ツルんと
カワイイけど

ごっつい系

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皮の処理はややワイルド系

でも
ナニヨリカニヨリ
この音がハンパない

ちょっとしたタッチの差
ちょっとした叩く場所の違いで
何種類もの違う音が出てくる

まだコントロールして叩き分けるというほどの技術は持ち合わせていないけど
触り方の変化で変わる音の違いが面白くて面白くて

さらには
サイズに比例しないハンパない力強さ!




https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1636821593287252&id=100008782806069



なんでこんなにヤヴァいのが出来たのか?
いろんな要因はあると思うけど…


材、虫喰い穴の空いたヒノキ丸太
その内壁のランダムな虫喰い具合
気分で整えたコブレット型の外型

使ったシカ皮の部位、厚みや伸び具合

ketteスタイルのごっつい金具で
パッキンパッキンのカッキンカッキン
に張り込んだ

…いろんな要因がうまくマッチした。
たまたま。

そういう様々な要因に作用したのは
時々の気分なわけで。

そうなるとそれは偶然のようでいて必然?




なんにせよ



かなーーーーり遊べる
おっもしろい!太鼓

出来ました♪


良いご縁がありますように( ^ω^ )

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ketteスタイルブーム
まだまだ続きます…




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# by kei-grande | 2017-01-21 01:53 | Outros その他 | Comments(0)

今年も残すところあとわずか…

(とか書き始めて、歳を越してしまった、、、、

まぁ、そのへん、テキトー)



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張替えや

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修理




思い出の

想い入れの詰まったモノを

再び使えるように

“治す”

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停まっていたモノガタリに

もう一度

命を吹き込む

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https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1628584674110944&id=100008782806069

イチから作る、始めるのはもちろん楽しいけど
モノガタリに途中参加させて貰えるのって
また違う楽しさと嬉しさ

根本的に
なんでも

“治す”

“調子いい状態にする”

そういうこと、好き。

なるほど、こういう締めくくりか
この一年は。
治す一年だったか……



とか

思ってたら!

30日の晩

一本の電話

「デカイのがね、獲れたんだけど、百ニ・三十キロくらいの。
明日の解体来れるかね?」

そんなん
声をかけていただければ行くシカないでしょ!
シシだけど。


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脂が硬すぎてこりゃ食えんから皮の方に着けて落としちまえ
という猟師の言い分と

できるだけ皮に脂を残したくないんすよ
だって、どうせ後で取らなきゃなんないんならなるべく皮には少なく

という俺の言い分と、

せめぎ合いながらの皮剥ぎも、

滅多にないサイズに終始笑い声は絶えない。

収獲の喜び、
ヒトとしての根元的な喜びがそこにはあった。


そんなこんなで年末年始は、
一年の締めくくりも
新しい歳の始めも

ケモノとともに…

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2017年もケモノづいて行きそうです!

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1630962153873196&id=100008782806069


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猪はホント脂が凄くて大変だから
あんまりやりたくなかったんだけど…

みんな大物獲れて嬉しそうで、
シシは要りませんって言うのもなんだなぁ〜

っていう部分と
もう一つは、

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↑今回使った皮
コレ猪





内山さんが遺した皮。

ここまで綺麗に仕上げるのってどうやったらいいんだろ?
っていう

探究心から。


…にしても大変。

臭いが鼻の奥に染み付いて…

重いんだなぁコレが

臭いが重いの

猪。


こういう体験すると、
皮の値段って
安過ぎる!

って思える。


ひたすら手間。

そして臭い。

感謝して使おうって思います。

そして、この仕事に見合う適正な価値をつけなきゃと。


“モノの価値を判断するには身体感覚が必要”だな

とか

歳の始め、
そんなことを頭によぎらせつつの太鼓日和


本年も宜しくお願いします。





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# by kei-grande | 2017-01-06 21:39 | Reparacao 修理 | Comments(0)

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立て続けですが

竹。





竹ほど無尽蔵な資源はないんじゃないかと

竹を上手いこと使ったら

使いこなせたら

なんだか世界はもうちょっと

バランス良くなりそう

とか

思いつつ

こんな簡単なモノしか

作れない

作らない

俺。


ま、簡単なところから

始めよ

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https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1626000624369349&id=100008782806069





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# by kei-grande | 2016-12-28 23:24 | Reco-reco ヘコヘコ | Comments(0)

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kette drum

ケテ ドラム

ビンギドラムとも。

詳しくはこちら↓↓↓





極太の孟宗竹に極厚の猛々しい鹿皮を張った
Japanese style!

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初めてこういう極太の孟宗竹を見たとき、
あ〜、こんだけ太ければ、もうこれだけでケテになるじゃん。
って思った。

実際、日本のケテドラム製作の第一人者。
Trench drumsの大ちゃんにも、
孟宗竹で作ってみたらいいじゃん♪
みたいな話したんだけど…

なんかいろいろ忙しいみたいで

なんで、畑違いかとも思って遠慮してた部分あったけど
気持ち抑えきれず
やっちまいました!

っていうか、
みんなやったらいい。

竹なんて腐るほど余ってるんだから
鹿の皮だって捨ててるんだから

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見ての通り打面の割にこれでもかとゴツい金具で
厚めの皮を相当テンション掛けて締め上げてます。


音楽ってなんなんだろう?
ってふと考えるとき、
正確には感じるとき、

結局は身体の緊張を高めて行くか
緩めて行くかののどっちかの作用を
あるいは高めたり緩めたりの波
なんだと感じる。
どっちも最終的には緩むが終着点の気がするんだけど。

このケテ
ビンギドラムを生んだ歴史に意識を向ければ、
奴隷制という人類の暗い闇が背後に見える。

人が人を肌の色で差別し
取り替え可能な労働力として
消耗品として扱った

そういう人類の歴史のダークサイドが。

そういう意味では
アタバキとまったく一緒なんだよね。


そう、
奴隷という人の尊厳を無視した極限の環境に置いて
音楽が
太鼓が果たした役割とは?

それは身体を
過酷な環境に置いて
身も心もカチカチに固まった
防御反応から固まらざるを得ない
その凝り固まった身体
その緊張を緩めて一息つく

そういう時間が必要だった。
生きるためには。

音楽で身体を緩めなければ生きていられなかった。

そういう背景
なんだと
直感する。


で、
緊張がすんごく高い時、
ユル〜い波長に身体は同期出来ないのを感じる時がある。

そういう時は高い
カンカンに
キンキンに
テンションの高い波長の方が同期し易い。

それから
ベースに流れる低いユルい波長にも同期出来たり

また高く高く上り詰めて
最後に弛緩
みたいな。

この小さな打面に
これだけ締め込んだ太鼓の音に

そんなアフロジャマイカの現在進行形の身体の緊張の高さを伺いみたり
またこの音に心地良さを感じる自分自身の緊張の高さに気づいたり

なんかそんな勝手な妄想を
胴が孟宗なだけに。



にしても思ったのは

ケテって割とマイナーな太鼓
アタバキに並ぶマイナーな太鼓だと
思ってたけど

アタバキよりよっぽどメジャーじゃん!
アタバキよりも知名度高い!

ということに気づいたの。



…というわけで、

このタケケテ

これからもっと作り込んで行こうかな

アタバキよりも需要有りそうという
捕らぬタヌキの皮算用を…






https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1626639950972083&id=100008782806069





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# by kei-grande | 2016-12-28 22:53 | Outros その他 | Comments(0)